周りから「魅力的」と思われる人が日々していること 「好かれたいと思うほど嫌われてしまう」を禅で考えてみる
「早く、早く」「負けるな、負けるな」──。 時間に追われ、人に急かされて、いつも頑張ってしまっている自分。しんどいのに、人を蹴落としてでも「私が、私が」と前に出ていかなければ、まわりから取り残されそうでこわい。ぎすぎすした世の中に、生きづらさを感じている人が増えています。 「思い切って、ゆずってみるとうまくいきますよ」と言うのは、禅僧の枡野俊明氏です。人を蹴落とすのではなく、人にゆずることで人生は好転する──。いったいどういうことか、氏の新刊『迷ったら、ゆずってみるとうまくいく』をもとに3回にわたり解説します。
■「よく思われたい」と思わない 人からよく見られたい、いい人だと思われたい、という気持ちは誰にでもあります。そして、好意を寄せている人から好かれたいという、プライベートな感情もあると思います。 禅の教えには、このようにしたら人から好かれるという、具体的な“モテる秘訣”はありません。しかし私は、禅が教えてくれる生活習慣や所作を身につければ、必然的に人から愛されるようになると思っています。 禅は、ただひたすら無心に取り組む姿ほど美しいものはない、と教えています。たとえば、春の到来を告げるウグイスの「ホーホケキョ」のさえずりを聴けば、私たちは「あぁ、ウグイスの声はなんて美しいのだろう」と感じます。
しかし、ウグイスはただただ無心にさえずっているだけで、私たちを楽しませようと思っているわけではありません。私たち人間が勝手に、無心にさえずるウグイスの声が清らかで美しいと感じるのです。 無心に取り組む姿勢は魅力的 あるいは高校球児を見て、彼らを清々しく感じるのも、彼らが損得勘定ではなく、ひたむきにプレーしているからこそ、私たちは心を惹きつけられるのです。 つまり、人からよく見られたい、好かれたいなどというはからいの心を一切もたずに、無心に何かにとり組む姿は魅力的であり、人を惹きつけるのです。