自称“日本一強いアナウンサー”が、チャイナドレス姿で瓦割りをする意外な理由。幼少期のいじめを乗り越えて
10年間毎日続けたブログで身についた「言語化能力」
堀江さんがアナウンサーを志したのは、高校3年生のときだった。 高熱にかかって入院した際に、お天気キャスターの皆藤愛子さんをテレビで観たのがきっかけになったそうだ。 「事務所の先輩である皆藤愛子さんの笑顔にすごく癒やされて。将来はだれかに元気を与えられるような大人になりたいと思ったんです。大学ではミスコンでグランプリに輝き、そこからセント・フォースに所属してアナウンサーを始めることになりました」 大学時代のミスコンも、社会人としての就職も「自分と向き合うことがたくさんあった」と堀江さんは振り返る。 自分が何を考えているのかという内側の思いを言語化し、相手に伝わるように発信していく。 アナウンサーの仕事を通じて「言葉に責任を持つ意識」を信条にしてきたという。 「コミュニケーションをしていく上で、言語化能力を高めるのが非常に大事だと思っています。なので、セント・フォースに所属してから10年間は365日毎日ブログを書いていました。『日々の出来事を記録して発信する』というのを欠かさずに繰り返したことで、言語化する力はだいぶ身についたなと感じています」
コロナ禍を機に国際医療NGOと関わるように
11月20日に行われた日本発祥の国際医療NGO団体「ジャパンハート」主催のビジネストークイベントでは、MCとして出演した堀江さん。 暗雲が立ち込めていたコロナ禍において、ジャパンハート最高顧問である小児外科医・吉岡秀人氏を中心に行われた「マスクを医療従事者に届ける」という社会貢献プロジェクトに感銘を受け、活動に参加するようになったという。 「当時はコロナ禍で25歳だったため、ボランティアに取り組むだけの心の余裕はほとんどなくて。自分の目の前のことをやるのに一生懸命だったんです。その一方で、ジャパンハートの皆さまが、時代が止まったような状況でも、社会貢献に動いている様子を見て『自分も何かできないかな』と思いました。 そんななかで、吉岡先生の行動力と熱意にすごく感銘を受け、ジャパンハートの活動に共感してくださる支援者のコミュニティ『ジャパンハート部』の立ち上げに参画して、月1でオンラインイベントの開催を手伝っていました」 現在、堀江さんはスポーツや企業イベントでのMCを務める傍ら、2024年7月には教育事業を展開する「株式会社JapanNanny.」を立ち上げ、経営者としても活動している。こうした二つの異なる顔を持ちつつも、本人にとっては「どちらも目的は一緒」だと語る。 「『子どもの個性を尊重した居場所を作りたい』というのが最終的なゴールだと考えています。実はアナウンサーとしても、教育関係の仕事で子どもと関わる機会が多いんですよ。 アナウンサーや経営者という立場が異なっても、子どもたちのありのままの姿を尊重し、才能を引き出していくというマインドセットを大切にしています」