戦乱のガザで毎日180人の赤ちゃんが生まれている 何度も避難し、麻酔が不足する中で帝王切開に挑んだ記録
出産後、その日のうちに病院を後にした。人が密集する病院では、感染症などが不安だったためだ。向かう先は中部デールバラハの友人宅。道のりは30キロもあり、一部は車で移動ができたが、3時間は歩かざるを得なかった。だが、デールバラハも安全な場所ではない。近くの住宅が砲撃され、破片が室内に飛んできたこともある。窓ガラスが割れ、壁の一部が崩れる。ほこりだらけになる室内。「2人を同時に瞬時に抱くことはできず、覆いかぶさるのに精いっぱいだった」とシュークは強調した。 「もう一つ問題があった」と今度は笑顔を見せた。「出産で頭がいっぱいでベビー服も粉ミルクも何も用意できていなかった」。出産後、マムドゥーフは慌てて買い出しに行くが、商店では戦闘前の3~4倍の値段に跳ね上がっていた。国連の支援物資も不十分で、子ども用品は常に不足する。出産後、安堵の息をつく間もなく、子育てに追われ、食料や衣服など子育て用品の調達に奔走する日々が始まった。
国連児童基金(ユニセフ)によると、日々生まれる180人前後の新生児の中には、病院ではなく、避難先の住宅や路上で生まれた子どももいる。出産後の母子が学校などの避難所で生活するケースも多い。十分な食料や水、衛生用品がないのが現実だ。母乳で子育てをしている女性は10万人程度とみられ、栄養不足の懸念が深まる。2歳未満児の9割が栄養不足状態だとの報告もある。 ユニセフのテス・イングラム報道官は「十分な栄養を摂取できなければ、感染症にかかりやすくなるほか、知能や身体の発達の遅れにつながる」と指摘する。ユニセフは人道支援物資として水や食料、粉ミルク、衛生用品のほか、妊娠中の女性や母乳で育てる母親向けの栄養サプリメントもガザに送る。予防接種のためのワクチン搬入も開始したが、数は足りない。 国連安全保障理事会は12月下旬、ガザへの人道支援の強化を訴える決議案を採択したが、現実の品不足は変わらない。私自身、食事は1日1回、ひよこ豆やチーズ、パンなどを食べるのがやっとだ。イスラエル軍の攻撃が強化されたハンユニスからラファの親戚宅に避難したが、約40人が同居、私は1部屋に7人で眠る状況が続く。
ナセル病院で会ったとき、シュークが「戦争の間に産んで申し訳ないと思う」とつぶやくように何度も語ったのを思い出す。そして、小さな2人を見つめ、付け加えた。 「パレスチナの現状を変え、人々の命を救うような人になってほしい」