戦火のガザに残した同僚、安否を気遣うメッセージに…「NO」 なかなかつかない「既読」、国境なき医師団の日本人女性「ただ祈るしか」
スマートフォンの画面をのぞくと、仲の良かった現地スタッフからたった一言「NO」と返信されていた―。イスラエル軍が猛攻を続けるパレスチナ自治区ガザから退避した国際組織、国境なき医師団(MSF)スタッフの白根麻衣子さん(36)。今年5月にガザに赴任し、約300人の現地スタッフと共に活動してきた。イスラエル軍とイスラム組織ハマスの戦闘激化を受けてやむを得ずガザを去ったが、残る同僚への思いは尽きない。(共同通信=森脇江介) 歴史が生んだ「世紀の難問」…イスラエル、パレスチナの争いはなぜ始まった 基礎から解説
▽「監獄」に2度目の赴任 2016年にMSF入りした白根さん。ガザやアフガニスタンでの勤務を経て、今年5月に2度目となる勤務に赴いた。現地では職員の採用などを担当し、パレスチナ人スタッフと一心同体で日々の活動にまい進していた。 「戦闘開始前、病院に攻撃なんてありませんでした」。周囲をフェンスに囲まれ、検問所を通じたパレスチナ人の出入りも容易ではないガザは「天井のない監獄」とも呼ばれる。戦闘が始まった10月7日を迎えるまでは散発的にイスラエル軍の空襲があったが、ガザ市中心部のシファ病院近くにある事務所に大きな危険が迫ることはなかったという。 だが、ハマスの奇襲とイスラエル軍の地上侵攻で状況は一変。連日の空爆から身を守るため、他の外国人スタッフ約10人と宿舎の地下室に避難した。シャワーを浴びることができたのは攻撃の合間を縫って「1人3分以内」。建物から50~100メートルのところに爆撃があった時には、窓ガラスが全て割れた。
▽廃材テントに身を寄せて 戦闘が激化するにつれ、白根さんら外国人スタッフはガザ地区の南側に隣接するエジプトとの境界にあるラファ検問所からの脱出を目指して移動することになる。空襲を避けて海岸沿いの道を進む車を運転してくれたのは現地スタッフの1人。道すがら、同僚とよく食事に行っていたレストランは攻撃で破壊されていた。 「患者がいるから残る」と決意し、戦闘が激化する北部で活動を続けるスタッフも多い。白根さんたちは国連の施設を転々としながら検問所の開放を待った。日を追うごとに避難民の数は増え、駐車場での野宿を余儀なくされる。ツナや豆の缶詰、パンで飢えをしのぎ、廃材でテントを作って他のスタッフと身を寄せ合ったが、時には雨にも見舞われ「本当に絶望した」。パレスチナ人に治療を求められても着の身着のまま逃げてきたため医薬品はない。「(同僚の)医療スタッフは本当に苦しそうだった」 待ち続けた末の11月1日に検問所が開かれたとき、アラビア語で怒号が飛び交う中で群衆をかき分けて道をつくってくれたのも現地スタッフだった。「家族を置いて、命を懸けて付き添ってくれたスタッフもいた。別れる時は胸が張り裂ける思いだった」