戦火のガザに残した同僚、安否を気遣うメッセージに…「NO」 なかなかつかない「既読」、国境なき医師団の日本人女性「ただ祈るしか」
▽3日ぶりの返事 11月5日に日本に帰国したが、「後ろ髪を引かれる思い」で残してきた同僚への思いは尽きず、交流サイト(SNS)で安否を気遣うメッセージを送る日々が続く。だが日増しに通信状況は悪化し、数日たたないと「既読」の印がつかないことも当たり前になっていった。 移動の際にいつも世話になっていたパレスチナ人の男性警備担当者もやりとりを続ける一人だ。彼の安全などを考慮し、名前は公表できない。 「今日もシファ病院で働いているの?」 「オフィスの近くで爆撃があったので今日は家に避難しています」 生死を争う厳しい文面とは裏腹に、穏やかな笑みを浮かべた自撮り写真まで送ってきた。「やさしくて、人なつっこい性格なんです」 異変を感じたのは11月中旬のことだった。12日夜、「大丈夫?いつもガザのために祈っている」と呼びかけてもいっこうに反応がない。返事が来たのはイスラエル軍が地区最大の医療拠点シファ病院に突入した15日の夜になってから。
たった一言「NO」と表示されていた。 「長年紛争と隣り合わせで生きてきたパレスチナ人は我慢強いんです。どんな時にも『大丈夫』って言っていた彼らが『だめだ』なんて、どれだけ悲惨な状況なのか」。胸が締め付けられる思いで、遠く9千キロ離れた日本で何もできずにいる自分をふと顧みた。思いあまって3分後、「ごめんなさい、ごめんなさい。私には何もできず、ただ祈ることしかできない」。そう打ち返すことしかできなかった。 戦闘開始前、会議などで週に一度は訪れていたシファ病院には重病患者も多く入院していた。「南部への避難は難しく、今も残っているだろう」と心配ばかりが募り、白根さん自身も「やるべきことを終えられなかった」という後悔にさいなまれる。このまま戦闘が続けば、平時なら助けられる人も助からなくなってしまう。今はとにかく「イスラエルとハマスの双方に停戦してほしい」。時期が来ればガザに戻り、苦難を共にした同僚たちとまた一緒に働きたいと願っている。