<私の恩人>内田裕也、親友ジョン・レノンが俺の原点
問答無用のロックンローラー・内田裕也さん(74)。現在、京都・よしもと祇園花月などで開催中の「京都国際映画祭」(19日まで)内の企画として「内田裕也 ロックンロールムービー2DAYS」が行われ、「十階のモスキート」(1983年公開)など、過去の主演映画がリバイバル上映中です。歌で、映画で、そして、生きざまで魅了し続ける内田さんですが、いついかなる時でも「ロックンロール!!」と叫ぶそのワケは、故ジョン・レノンさんにあると言います。 俺にとっての恩人は、ジョン・レノン、そして、オノ・ヨーコです。 1966年に「ビートルズ」が来日した時、サポーティングアクト、ま、前座をやったのが、俺たち(尾藤イサオ他)だったんだよ。3日間で5回ステージをやったんだけど、そこでは警備の警官があまりにもたくさんいすぎて「ビートルズ」のメンバーとは話せなかった。 そこから時間が経って、1973年。ニューヨークのダコタ・アパートに雑誌のインタビューでオノ・ヨーコに話を聞きに行ったんだよ。彼女とは前からの知り合いだったんだけど、インタビューが終わる頃に、汚ねぇジーパンにヨレヨレのシャツ、メガネをかけたヒョロヒョロの男が入ってきた。それで「マイネーム・イズ・ジョン」って言うんだよ。そこで初めて話したんだよな。「実は、僕はあなたの公演で前座をやってたんだよ」って言ったら、「オーッ!!」ってなって。その頃は、ちょうど2人が同棲を始めた時期だった。当時から、すでにジョンは神格化されてて、なかなか会えない。実際、人嫌いなところもあるし。ただ、そこで一気に意気投合したんだよな。 ま、オノ・ヨーコはエラそうなことばっかり言うんだけど(笑)、世界一有名な日本人女性だと思うしね。世界の人、誰でも知ってるよ。あの「ビートルズ」に大きな影響を与えたことは間違いない。「ビートルズ」がアイドル的なものからさまざまなメッセージを放つものへと変わっていったところに、彼女の存在は大きかったと思うしね。俺の横で、ジョンともしょっちゅう口論してたけどね。ま、後々、俺もオノ・ヨーコとはケンカしちゃうんだけど(苦笑)。ただ、彼女をきっかけにジョンという革命的なロックンローラーと知り合えたことも間違いないからね。