神野美伽「笠置シヅ子さんから江利チエミさん、そして私へ。脈々と受け継がれる歌のDNA。大切に歌っていきたい」
◆江利チエミさんのDNA 私がいう「歌のDNA」というのは単に歌だけではなく、江利チエミさんという方が生きた時代の「スピリット」や「環境」が大いに含まれていると思っています。 1953年、16歳の江利さんは、1ヵ月もの長い間アメリカに滞在し、エラやローズマリー・クルーニー、サミー・デイヴィスJr.、ルイ・アームストロングなど錚々たるアーティストたちと堂々と渡り合い、ジャズを本場で歌っています。 まさに「開拓者スピリット」。これこそ江利チエミさんの大きなDNA要素と申し上げて過言ではないかと思います。 そのような江利さんの素晴らしいキャリアを知ったのは、ほんの数年前のことなのですが、思えば私自身も24年も前に韓国で歌うことを始め、10年前にはニューヨークのジャズクラブで歌を歌い始めていました。 この私が、まさかまさかのジャズクラブです。このことに関しては、色々な方に色々なことを聞かれましたが、「自分の可能性を探し求めて辿り着いたのがニューヨークだった」ということに尽きると思います。 その地で、マンハッタン・トランスファーやロン・カーター氏など、考えもつかない最高峰のジャズアーティスト、ミュージシャンと出会い、レコーディングが実現、そして現在も親交が続いているのです。 JAZZという音楽を特段学んだわけでもなく、目指したわけでもない私ですが、そのようなところに行き着いたのはやはり江利さんの歌のDNAが私の体の中にあった所以なのだと感じます。
◆笠置シヅ子さんのDNA そして、もう1つ。その江利さんの歌には、今朝ドラの『ブギウギ』で話題の、笠置シヅ子さんのDNAが大きく存在しているということを忘れてはなりません。 江利さんのお父様は、吉本興業の専属楽団のバンドマスター。お母様は、東京少女歌劇団出身の舞台女優で、お2人とも吉本興業が仕切る笠置シヅ子さんの舞台で一緒に活躍された方です。 江利さんの幼い頃の初舞台は浅草で、ご両親が一緒に出演する舞台でした。そこで江利さんは『東京ブギウギ』を歌っています。 その公演には、笠置シヅ子さんも出演していらっしゃったというのですから、笠置さんの影響を江利さんがダイレクトに受けないはずがありません。