「あの倒れ方はやはりおかしい」 能登半島地震「五島屋ビル」が今も撤去されない理由【スクープその後】
「工場で寝泊まりしながら…」
合理性を考えれば、いち早く撤去するのが得策。だが、当事者たちはそれぞれ、理屈では割り切れない思いを抱えている。 その点を伺うべく、五島屋の社長に取材を申し込んだところ、応じてはもらえなかった。 「確かに納得していない部分はあると思いますよ」 と胸中を代弁するのは、社長の近しい友人である。 「能登では2007年にも地震があったでしょ。社長は以来、ビルの耐震性を気にして、地下を埋め、基礎を強化する工事を行った。人が死んでしまっていますから、なぜ倒れたのかきちんと調べないといけないという気持ちが強いんです。彼は工場で寝泊まりしながら会社の再建を図っていますよ」
「妻と娘が死んだのはビルのせいだと考えてしまう」
一方、 「確かに市から連絡はありましたが、ちょっと待ってくださいと伝えています」 と明言するのは、「わじまんま」の店主・楠健二さん。楠さんは現在、神奈川県の川崎市に住みながら、能登へしばしば戻り、遺品を探し続けている。 「あの中にはのれんなど思い出の品があり、整理にもう少し時間がかかる。でも今、市側が解体するとそれらがゴミとして捨てられてしまうんです」 また、五島屋についての複雑な感情も吐露する。 「あんな倒れ方はやっぱりおかしいと思いますよ。上が壊れていないのに下が折れている。いくら古いビルだからって、素人が見ても、疑問に思いますよね。肝心の基礎がおかしいのでは。それを明らかにしたいという思いはあります」 社長とは一度、言葉を交わしたという。 「2月くらいだったかな。私が店の跡地で片付けをしていたら“すみませんでした”と声をかけられ、思わず“何ですか今さら”と言ってしまいました。そう思いたくはなかったけど、やっぱり妻と娘が死んだのはビルのせいだ――と考えてしまう自分がいるんです」
「そりゃ立ち直れないですよ」
正直な思いを打ち明ける楠氏。もちろん彼の中で震災はまだ終わっていない。 「店と家と、何より家族を失った。俺は目の前にまだ生きている二人がいてそれを助けてあげられなかった。そりゃ立ち直れないですよ。一生引きずって生きていくと思います。女房と築き上げた店を終わらせたくないから、いつかはあの地で店を再開したいと思っているけど、地元には客が戻っていない。まだまだその日は遠いですね……」 多くの人々の日常をかくも一瞬で奪い去っていった震災。倒壊した五島屋ビルが姿を消すのはいつの日か。