『西園寺さんは家事をしない』になぜ視聴者は夢中になった? “自由で楽しい”家族の在り方
本作には、本物の夏祭りも、本物の海も登場しない。夏祭りは、第8話で花火大会に西園寺さんを誘おうとした結果ルカも加わったために、2人をもてなそうとした横井が自分の家に作った自作の「夏祭り」だったし、第10話で「Last Summer」を満喫しようとする西園寺さんと楠見親子は、海に行こうとするも台風に見舞われ、家で浮き輪とにわかせんぺいのお面を使って思い思いに遊ぶ。 第4話の西園寺さんらしさ全開のホームパーティーや、西園寺さんがルカにしか明かしていないシルバニアファミリーでいっぱいの秘密の部屋もそうだが、西園寺さんの家も、どこまでも懐が広いカズト横井の家も、大人も子どもも楽しめる、ワクワクがいっぱいのアミューズメントパークみたいだ。それは多分、どこまでも彼ら彼女らが自由だからだ。子どものように無邪気に遊べる大人たちの心沸き立つ空間であり、そしてなにより、大好きな人たちが喜ぶ顔が見たい、尚且つそれが、「やらなければいけない」ことではなくて「自分がやりたいから、ワクワクしながらやっている」人たちによって作られた、優しさに満ちた場所だからだろう。だから、どんなに美しい景色より心に残るのだ。 本作は、家事が苦手なヒロインを肯定的に描いた『私の家政夫ナギサさん』(TBS系)とは違って「家事をしない」ことを主軸に置いていない。さらに進化した新しい家族像を打ち出している。家事をしたくない人は「家事代行サービス、優れた家電等を使って極力家事をしないでいい」「家事が得意な人がやればいい」ということは前提として、序盤でさらっと描いて、本質は、西園寺さんが「家事をしない」理由である、西園寺家の母の問題に特化している。つまり、「家族はこうじゃなきゃ」に縛られなくていい。家族とは、彼ら彼女たちが作り上げた「偽家族」のように、誰にも自己犠牲を強いない、もっと自由で流動的で、それぞれが自分のやりたいことをやる楽しい居場所でいいのだと西園寺さんは教えてくれた。 「ここは通過点です。先へ進みなさい」と数式を通して亡き妻・瑠衣(松井愛莉)に背中を押してもらった楠見のように、西園寺さんもまた、「本当は振り返りたい過去だってあるのに、目を背けて蓋を」し続けていることと向き合わなければならない段階にきている。そして恐らく鍵を握るのは、高畑淳子演じる、前職は恐山のイタコという異色の経歴を持つ家政婦・美代子なのではないかと思いつつ、「偽家族」の物語を、できることならこの先もずっと観ていたいと願っている。
藤原奈緒