読売新聞グループ本社代表取締役主筆の渡辺恒雄氏が死去、98歳
読売新聞グループ本社代表取締役主筆の渡辺恒雄(わたなべ・つねお)氏が19日、肺炎のため死去した。98歳。葬儀は近親者のみで営まれる。喪主は長男、睦(むつみ)氏。後日、お別れの会が開かれる予定。同社が明らかにした。 【写真】長嶋茂雄氏とともに試合を観戦する渡辺恒雄氏 大正15年、東京都出身。旧制東京高校、東大文学部哲学科を卒業。昭和25年に読売新聞社に入社し、読売ウイークリー記者を経て政治部へ。政治部次長、米ワシントン支局長、解説部長などを歴任し、50年に政治部長。60年から主筆。平成3年に代表取締役社長・主筆に就任した。14年のグループ再編で読売新聞グループ本社社長、16年に会長に就任、28年に会長職を退いた。 巨人軍では8年からオーナーとなり、16年に有力アマ選手への栄養費問題で辞任した後、17年に会長として復帰した。 政治部記者時代、のちに衆院議長を務める大野伴睦氏の番記者として人脈を広げ、中曽根康弘元首相のブレーンとして知られる。6年には読売新聞社としての憲法改正案を紙面で発表するなど同社の論調をリードした。憲法改正を実現するために「大連立」を説き続け、19年に福田康夫首相と小沢一郎民主党代表(いずれも当時)に大連立構想を持ちかけるなどした。 政官界とのパイプ作りも絶やさず、最近まで若い政治家らと交流を持ち続けるなど、晩年まで政界やプロ野球界など各方面に強い影響力を及ぼした。 3~17年に日本相撲協会の諮問機関、横綱審議委員会委員、11年からは日本新聞協会会長を務めたほか、政府の関係機関の委員なども務めた。20年に旭日大綬章を受章。26年には政府の情報保全諮問会議の座長に就任していた。 「わが人生記 青春・政治・野球・大病」「反ポピュリズム論」など著書多数。