「頭痛が痛い」「違和感を感じる」「歌を歌う」…重言のセーフとアウトの境界線は?【言語学者が解説】
もしかしたら「乗車した」「下山した」「入室した」などの動詞は、「乗った」「下りた」「入った」といった動詞の“よりフォーマルなバージョン”として機能しているのかもしれない。 もし私が会社の採用面接を受けるとしたら、「御社に入社した暁には……」などと言ってしまいそうだ。というのも、単に「御社に入った暁には……」だと、なんとなくフォーマル度が足りないような気がするからだ。しかし面接官の中に「重言絶対許さないマン」がいたら絶望的だ。 でも仮に面接官から「君は面接中に重言を使ったから採用できない」などと言われたら、開き直って議論をふっかけるのもいいかもしれない。 「重言ってどこからどこまでが重言なんですか?たとえば『毒を解毒する』って重言ですか?『細菌を除菌する』は?」などと詰め寄ったら、相手もひるむんじゃないだろうか。 ついでに「今まで一度も重言を吐いたことない者だけが、私を不採用にするがよい」とか言ってみたい。採用はされないだろうけど。 以上のように、私個人は重言を楽しんでいるが、読者の皆様の中には「世の中のありとあらゆる重言を駆逐するハンターになりたい」という人もいるかもしれない。 そういう人のために、この文章の中にこっそり重言をしのばせておいたので、ぜひ探してみてほしい。 類書:『言語学バーリ・トゥード――Round 1 AIは「絶対に押すなよ」を理解できるか』
川添 愛