BEGIN『うたの日コンサート2024』オフィシャルレポート MONGOL800、古謝美佐子ら沖縄のアーティストとうたのお祝い
ここからは、優とHoRookiesが中心となり、ゲストを迎え入れる形で進んでいった。「歓びのブルース」の途中で登場しラップを披露したRude-αによる「うむい」は、一昨年の慰霊の日に発表された曲。幼い頃、慰霊の日に祖母と平和祈念公園に行くと、祖母は平和の礎を前に泣いていたと、Rude-αは話を始めた。祖母は母親のお腹にいる時に戦争で父親を亡くしていた。会ったことのない父親を想い泣いていたのだと知ったのは、後のこと。そのことを詩に書き、優が曲をつけ、そして同世代のHoRookiesが演奏をする。こうして、祖母からRude-αへ、そして聞き手へと、受け継ぐべき大切な歌が生まれたのだと知る。 続いて玉城千春。歌ったのは、沖縄南部の児童養護施設の子供たちと一緒に作った「あの人の声」。「今なら言える 生まれてきてよかった」という歌詞は、施設の子供の個人的な経験から生まれた言葉だっただろうが、玉城のあたたかい歌声が、聴き手誰もに生きることを肯定させる力を与えていた。 そして、MONGOL800からキヨサクが優のソロアルバムのために書いた「シージャーGO GO!」が続いた。シージャーとは先輩のこと。「すべてのヤッケーシージャー(厄介な先輩)に捧ぐ! 俺から見たら優さんはシージャーだけど、HoRookiesから見たら俺もシージャーです!」との声で、愛溢れるゴキゲンなロックンロールが飛び出した。 HoRookiesはそのままに、「あとふたり、ヤッケーシージャー呼びますか!」、その声にD-51のふたりがステージに現れた。HoRookiesのバンド演奏とともに、ヒット曲「NO MORE CRY」を披露。2005年の楽曲だが、歌い重ねてきた歌はエバーグリーン的な響きをまとい、ふたりの声のハーモニーにも磨きがかかっている。観客もともに歌いながら、身体を揺らしていた。 続く「ハイビスカス」では、歌声とラップが組み合わされ、フロウの心地よさが際立っていた。ラストは観客とともに手を振りながら、なんともピースな空気が流れた。 「ほうら、足元を見てごらん」、伸びやかで美しい声が晴れやかな天に響く。玉城千春の歌声だ。アコースティックギターと鍵盤だけのシンプルな構成で始まったKiroroのメドレーは、それゆえ、彼女の歌のきめ細やかで奥深い表現をしっかりと伝えてきた。 ここ読谷は彼女の地元。その後、優を呼び込んでのバンド演奏での「命の樹」は、母校の読谷中学校に、難病で亡くなった生徒を偲んで植えられた桜の樹をモチーフに作られた曲で、命の輝き、尊さ、今この時間の大切さを切々と伝えてきた。 その声が響いた瞬間、会場が大きく包まれた。「アメイジンググレイス」、古謝美佐子の祈りの歌だ。会場にいる人たちがみな、すっと歌の中に惹き込まれていくのがわかった。 古謝は、昨年15年ぶりにアルバムを発表したばかり。もともと圧倒的な歌唱力と表現力を持つ古謝だが、70歳を前に、その歌声は生きる悲しみも喜びもを内包し、円熟した特別な声となっている。その上で、まだまだ歌を通して伝えることがあるという強い意志が宿った声は、切々として、胸迫るものがあるのだ。 アルバムタイトル曲「平和星願い歌」で古謝は、いまだ癒えることのない戦争の悲しみを歌い、祈るように、願うように、手を合わせた。嘉手納基地を抱え、毎日戦闘機が空を飛ぶ嘉手納町で暮らす古謝にとって、平和を願うことは、メッセージとか大仰なものではなく、ただただ、日々のこと。それゆえに、強い説得力があった。 続く、キヨサクと玉城を呼び込んでの「童神」は本当に素晴らしかった。世代を超えて、受け渡していくこと。3人の歌声の重なりは、その意味を目に見える形で私たちに伝えていたと思う。大きな拍手の中、「この場にいることが、誇りに思える」と、司会のありんくりんが言う。それは観客もみな同じ気持ちだったのではないだろうか。 続いてパーシャクラブが登場。彼らの音楽は、ロック、ファンク、ジャズ、ラテンとさまざまな音楽ジャンルを融合させ、圧倒的なオリジナリティを持っているが、それこそが「この島の音楽」であることを誇りを持って伝えているように思う。凄腕のバンドメンバーによる巧みな演奏と新良幸人のますます艶っぽい歌声に誰しも酔いしれ、身体を揺らしていた。 「乾杯しようね」という新良の言葉から、お祝いの時に歌われる八重山民謡「かたみ節」。新良のアグレッシブな速弾きの三線に高揚感が高まると、そこにRude-αのラップが絡むという、ここでしか見れないコラボレーションに、さらに会場は大盛り上がり。 そして美しい笛の音色から始まる名曲「ファムレウタ」。変わらないでほしいと願う故郷への想いが胸に響き、彼らの歌の中には、島の暮らしの中にある願い、人々の生き方、自然、失いたくない島の風景がここに描かれていることに気づかされた。 「うたの日が、長く長く、続きますように」と幸人は言った。それは、何を大切にしたいのか、よく知っている人の優しい声だった。 「うたの日、遊びましょ!」 キヨサクの声を合図に、観客が大きく手を挙げた。少しずつ夕暮れ、風が出てきた頃、雨が再びざっと降り、そしてまたすぐにやんだ。虹が出て、その後に登場したのが、MONGOL800だった。 一発目、「あなたに」で、早くも観客は一体となり、大合唱。そして、トランペットとサックスを加え、軽快にスウィングする「PARTY」で、大きく人々が踊り、波のように揺れた。粒マスタード安次嶺がさらに盛り上げ、ゆったりとしたリズムから観客を巻き込んでいく「OKINAWA CALLING」の気持ちよさに、各々声をあげたり、手拍子したり、と、自由に音楽を楽しんでいる。 ここで「Pray」。「祈り続ける」という言葉が沁みる。沖縄で暮らしていれば、祈ることは特別なことではなく、むしろ、日々の中で、より切実なものとなる。キヨサクは言った。 「平和ですねえ。めっちゃ楽しくライブができている。そんな時に響いてほしい曲をやりたいと思います」 「himeyuri~ひめゆりの詩~」だった。戦後79年、当然だが、月日とともに世代は入れ替わり、戦争体験者から話を聞く機会は少なくなっていく。だからこそ、歌に何ができるのか。一緒に歌いながら、「歴史にするには早すぎる」という歌詞をもう一度噛み締めた。込み上げてくるものを押さえられなかった。この感覚を忘れてはいけない。