石垣島はもはや過去の歴史の舞台ではない~28歳の青年はなぜ戦争犯罪人となったのか【連載:あるBC級戦犯の遺書】 #19
(山里節子さん) 「この集落から100メートル離れていないところに、弾薬庫がいくつもあって。半分くらいが石垣市の土地です。もう少し人気のない離れたところだと思っていたのに。地図には民家があるのに、敢えてここにもってきちゃって。だから住民がみんな怒って」 「自分の目の開いているうちは戦争なんて二度と見たくない思いでいるのに。いつも戦争で犠牲になるのは無辜の民っていうか、お年寄りや女子供たちで、罪のない人たちの命を虫けら同然に奪っていくしね。そういうのは耐えられないですね」
基地があれば標的に
山里さんは「基地があれば、標的にされかねない。新型兵器がもたらされて頭上で炸裂すれば島ごと破壊される。」という。そういう運命と共にさせられることが目前に迫っているかと思うと、いてもたってもいられないと不安な表情をみせた。「オバーたちの会」は、工事車両が出入りする入り口で抗議活動を行っていたが、2023年3月、石垣駐屯地が開設された。「守る」ためのミサイルだけではなく、「攻撃する」ための長射程ミサイルが配備される可能性もある。 なぜ、78年前の「石垣島事件」のような戦争にまつわることを今更、検証して報道するかと言えば、戦争を繰り返さないためなのだが、いまや石垣島は過去の戦争の舞台というよりも、中国をにらんだ国防の最前線であり、反撃能力を持つことすら想定される軍備拡張の現場そのものだったー。 (エピソード20に続く) *本エピソードは第19話です。 ほかのエピソードは関連リンクからご覧頂けます。
連載:【あるBC級戦犯の遺書】28歳の青年・藤中松雄はなぜ戦争犯罪人となったのか
1950年4月7日に執行されたスガモプリズン最後の死刑。福岡県出身の藤中松雄はBC級戦犯として28歳で命を奪われた。なぜ松雄は戦犯となったのか。松雄が関わった米兵の捕虜殺害事件、「石垣島事件」や横浜裁判の経過、スガモプリズンの日々を、日本とアメリカに残る公文書や松雄自身が記した遺書、手紙などの資料から読み解いていく。 筆者:大村由紀子 RKB毎日放送 ディレクター 1989年入社 司法、戦争等をテーマにしたドキュメンタリーを制作。2021年「永遠の平和を あるBC級戦犯の遺書」(テレビ・ラジオ)で石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞奨励賞、平和・協同ジャーナリスト基金賞審査委員特別賞、放送文化基金賞優秀賞、独・ワールドメディアフェスティバル銀賞などを受賞。