石垣島はもはや過去の歴史の舞台ではない~28歳の青年はなぜ戦争犯罪人となったのか【連載:あるBC級戦犯の遺書】 #19
沖縄の人の物差しは戦争だった
(森口豁さん) 「沖縄の人は戦争体験がまずあって、そういう戦争体験で学んだ物差し、その物差しで物事を計っていくと。これは正しくない、これは正しい。基地の問題にしても何にしても全部物差しは戦争だったんです」
石垣島事件で戦犯に問われた被告の中には、10代、20代の若者も多い。森口さんの著作「最後の学徒兵 BC級死刑囚・田口泰正の悲劇」(1993年講談社)の主人公、田口少尉もその一人だ。 (森口豁さん) 「事件当時、田口が22歳、田口が刀を振り下ろした米兵が20歳だよね。この世に生まれて20年、一方はアメリカ、一方は北海道に生まれて初めて出会った接点がこの石垣島で。そしてやられて。戦争っていうのは、明日、自分がどういう状況か、何をさせられるか、全く見えない世界ですね」
「若い学徒兵含めて、あの時代の軍隊にとられた若者たちが、この石垣島みたいなところで、空襲にあったり、敵兵の処刑があったり、人と人との殺し合いを初めて体験しているわけよね。初めに兵隊にとられる時だとか、石垣島の海軍に兵士として送り込まれるときは、敵の顔も見えないし、絶対日本は勝つんだって、それを信じて来ているわけじゃない。それが一年くらいの駐屯の間に、暗雲が垂れ込めて・・・」 「戦争っていうのは突然始まらない。国家権力っていうのは、もう何年も前から一つ、一つ法律を作っていって。法律ができて、初めて戦争ができる国になるわけでしょ。常に仮想敵国が示されて。そういう日常の中で、どんどん国の姿が変わっていく法律が出来ていることに気付かないと、ある日突然っていうことになる。その人にとっては突然なんだけど、5年も10年も前から布石が打たれているんだよね。そういうことを学ばないと、戦争反対とか反戦だとか口先だけで言っても、戦争は止められない」
石垣島で進む軍備増強
石垣島の戦時中の話を聞くために、もう一人、地元の方にお会いした。山里節子さん。8歳になる年に終戦を迎えた。8人家族のうち、半分を戦争で失ったという。予科練を志願した兄は、乗っていた船が撃沈され戦死した。幼い妹は栄養失調で防空壕の中で息絶えた。日本軍の強制移動命令で山の中へ移動したが、弟以外の全員がマラリアに罹患。祖父と母が亡くなった。この経験から山里さんは「いのちと暮らしを守るオバーたちの会」の世話人を務めていた。2020年10月当時、石垣島では自衛隊基地の建設が進んでいた。山里さんに近くを案内してもらった。