スポーツ・ルールに象徴される「大人のルール」の起源である「法」が「編集的」と言える理由
考える力をみるみる引き出す実践レッスンとは? 自分で「知」を生み出すにはどうすれば良いのか、いいかえ要約法、箇条書き構成、らしさのショーアップなど情報の達人が明かす知の実用決定版『知の編集術』から、本記事では〈野球が9回制になったのが「大発見」といえるワケ…スポーツの起源は「遊び」にあった! 〉にひきつづき、「法という編集の世界」についてくわしくみていきます。 【写真】「他人のふんどしで相撲をとる」、外国人に伝わるようにするならどう訳す? ※本記事は2000年に上梓された松岡正剛『知の編集術 発想・思考を生み出す技法』から抜粋・編集したものです。
法という編集の世界
スポーツ・ルールに象徴される“大人のルール”の起源は、ほんとうのところは「法」 にある。そして法や法律もまた、たいそう編集的なのだ。いや、だんだん編集的になってきたのだった。 古代ギリシアを例にすると、ごく初期は法を司るテミスとディケという神格が想定され ていた。この二人の法神格は大規模な集団の中でのみはたらくという特徴をもっている。そしてテミスが定め、ディケが示した。 まだ明文法はなかったが、そのうち判定(判例)の集積をもとに法のスタートが切られていった。ドラコンがその編集にあたった。それは 「テスモス」とよばれた。このテスモスがやがて「ノモス」(規範という意味)になるにつれ、ギリシアは法のもとの直接民主主義を獲得していった。 また、それとともにノモスのよう な社会の規範に属さないもともとの自然的本性に属する規範を「コスモス」とよぶことに なった。古代ギリシア法では、ノモスはコスモスに対応していた。 これにたいして古代ローマでは、ユスティニアヌス帝という為政者が、先行する地中海 文明に集積されていた習慣や罰則や規定をもとにローマ法を編集させ、すぐに法学校をつくって学生に学ばせた。吸収して、そして上から流し、学ばせたのである。 その基本を一言でいえば「私人の権利か、公共の権利か」という判断をどこまで細かく規定できるかという点にある。初期のローマ法はほとんど政治的権利の所属と忠誠をめぐっていたといっ ていい。 それが中期になると自然法が加わってくる。自然法は、人間が本性を維持できるための不可譲な権利を想定したもので、消滅することがない法だとみなされている。コスモスの本性を人間の自然性に規定したという意味で、自然法という名前がついた。そんなことは長いあいだローマ人は知らなかったのだ。ということは、時代がしだいに自然法を吸収し編集していったのである。 イングランドが有名にしたコモン・ロー(普通法)は、以上のようなギリシアやローマの法とはちがって、最初から全イングランド人が国のどこにいようと利用できる法として生まれている。 編集したのは王座裁判所と民訴裁判所と財務裁判所の裁定官たちで、各地の慣習を比較して徹底的に編集された。12世紀のヘンリー2世の時代には75の令状方式ができあがり、それが相互に比較され、規定されてあった。ただしコモン・ローとはいえ、それは封建的な土地所有者だけのためのものだった。 このように成立してきた法の、どこが編集的であるのかということは、すぐには理解できないかもしれない。おおざっぱに法の歴史が慣習や権利の編集の歴史であったことくらいはわかるだろうが、その法律の内容がどのように編集的であるかは、わかりにくいにちがいない。なぜなら、法なんて、どうしても決定的な条項で埋まっているのだから、どこが編集的なのかとおもわざるをえないからである。 しかしながら、一度でも法律にかかわってみると、それがきわめて用意周到な編集的構造でできていることがわかるのだ。 人間の歴史における最初の法は「掟」や「戒」に近いもので、禁止事項を破った者が罰せられるようになっている。つまり「違反」の思想を前提にする。まあ、モーセの十戒のようなものである。 しかし、どんなことをどのようなときに違反したかは、ある程度は明文化する必要がある。階層社会や階級社会が濃厚だった時代では、当事者の階層的な所属に応じて、つまりは身分のちがいに応じて、それぞれのルールの規定をし、やがてこれらを段階的に平等化していった。 何が法的な境界線であるかということをはっきりさせるには、また、そのような境界線がどこにあるかを説明するには、禁止事項は単純な規定ではよろしくない。加うるに、そこに禁止事項を破った意志が発動しているかどうかもうまく説明する必要も出てくる。 たとえば「Aという橋を渡ってはならない」という禁止事項は、「何時から何時までは渡ってはならない」とか「みだりに渡ってはならない」とか、あるいは「城に用のない者は渡ってはならない」といった説明を加える必要がある。 そうすると、「みだりに渡ったのか」「城に用があったのか」といった当人の意志も問えることになる。こうして情報編集が加わっていくわけである。 法律というもの、こうした情報編集の加え方が絶妙である。たとえば日本国憲法の第二条は次のようになっている。 ---------- 第二条皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。 ---------- 皇位が世襲制度だと書いてあるのだが、その規定は皇室典範によるもので、しかもそれは国会が議決したものになるのだと書いてある。「皇位は世襲のものであって、これは代々継承される」という文章のあいだに「皇室典範の定めるところにより」という文章が加わり、さらに「国会の議決した」が加わっている。 このように、法をつくるには禁止事項(あるいは重要事項)を中核として、まるで生物の分化や進化のごとくしだいに編集が進む。 しかも、法律のばあいは事項説明をおおむね箇条書きにして進むため、一個の条項で説明できていないことは別の条項で補足する。この条項と条項の関係(あいだ)がなかなか相互関連的であって、かつ編集的なのだ。すなわち、条項間が保持している意図を編集的に解釈しないかぎりはわからない。 これは誰にでもできるというものではない。そこで、このような編集的なルールをしっかりと解釈している特定の役目をもった人間も必要になる。これが裁定者や審判というものになる。 キリスト教なら神であり、スポーツならレフェリーであり、学校なら先生になる。もっとも最近の先生は裁定者にはなりたがらない。私はもっと引きうけるといいとおもっている。 * 連載記事〈「他人のふんどしで相撲をとる」、外国人に伝わるようにするならどう訳す? …「編集という方法」に求められる大事なこと〉では、雑誌や書籍の編集だけではない、「編集」についてくわしくみています。
松岡 正剛