売春をはじめた娘の葛藤…観光でラスベガスを訪れ働くことを決意した「壮絶な人生」
アメリカ50州のうちネバダのみで、経営が法的に認められている売春宿「Ranch」。1971年に合法化され、以後、客にも娼婦にもHIV感染者を一人も出すことなく歴史を刻んできた。今日、同州には19のRANCHが存在する。その一箇所で働いていたのは、45歳の“新人”女性と実の娘だった。アメリカ合衆国において、風俗で働く理由とは何なのか。ノンフィクション作家の林壮一氏が現地取材を行った。 【写真】アメリカ合法風俗で働く親子 前の記事『売春宿で働くアメリカ人親子…「45歳の新人」の母親は娘に誘われて売春婦になった』では、母親であるローラリー・グレイに取材を行った。今回はその娘に光を当てた。
20歳の時にはトップレスで洗車する仕事を
母親と入れ替わりにChicken Ranchのロビーにやってきたのは、25歳の娘、ライリー・グレイだった。 彼女は母親が口を閉ざした実父について、淡々と説明した。 「父は消防士だったけれど、辞めてからドラッグの売人になった。無茶苦茶な人で、母や私に暴力を振るった。ドメスティック・バイオレンスよ」 その口調は、グレイが受けた精神的苦痛を示しているかのようだった。物心ついた頃から、彼女はソーシャルワーカーになりたいと考えていた。 「家庭が崩壊していたから、母がウエイトレスをして私を育ててくれた。幼い頃は、『周囲の人々を敬いなさい。そういう態度を常に取れる人間になりなさい』と躾けられた。 自分と同じような境遇に育つ次世代の子供達を支えたいと、ソーシャルワーカーになろうと思ったの。でも、高校時代にダメな男と好き合ってしまって、中退しちゃった。途中までは、高校生ながらコミュニティーカレッジ(日本の短期大学にあたる)で学べる立場にいたんだけれど……。 この元ボーイフレンドにも、ドメスティック・バイオレンスで苦しめられた。学校に通うどころじゃなく、身の危険を感じる毎日になってしまって」 グレイ親子は男運が無かったのか。 ただ、グレイ母親であるローラリーは、無職だった自身の父(グレイの祖父)、そして囚人となった母親(グレイの祖母)を持ちながらも、コミュニティー・カレッジを卒業している。高校卒業までが義務教育であるアメリカ合衆国において、娘はそれすらを終えていないのだった。 「何とか暴力男から逃れて、バイクショップに雇ってもらった。作業は、メカニック補助や店の掃除、工具を整頓など。時給8ドル25セントだった。いくら田舎だって、安くてやっていけないでしょう。 それで、20歳の時にトップレス姿で洗車する仕事を見付けた。お客さんは、最低20ドルを払って私たちに車を洗わせる。チップも最安値で5ドル。私も、そこそこ稼げるようになった。収入は、バイクショップの倍にはなったかな(笑)」