最大1万匹いた奄美大島のマングースを根絶…不可能を可能にした専門家チーム「バスターズ」が開発した「わな」がすごい
鹿児島県の奄美大島で特定外来生物マングースの根絶が宣言された。かつて数多くの研究者が「根絶は不可能」との見方をしていた中、実現に至ったのは捕獲専門チーム「奄美マングースバスターズ」の貢献が大きい。その軌跡を追い、マングースの教訓を考える。(連載「マングース根絶 奄美の挑戦」㊤より) 【写真】「毛細血管のように」という表現がぴったり…奄美大島に仕掛けられたマングース用わなの設置図
奄美市で3日開かれた記者会見。奄美群島国立公園管理事務所の阿部愼太郎・国立公園保護管理企画官は「バスターズが改良したわながなければ今はなかった。真剣に取り組んでくれた」と感謝を述べた。 1979年、ハブ退治を目的に奄美市名瀬に放たれたマングース約30匹は、絶滅危惧種のアマミノクロウサギやトゲネズミを襲った。本格的な駆除が始まった2000年にはマングースは全島に生息域を広げ、推定1万匹まで増えていた。 「根絶は無理だからやめろ」。駆除を始めたころ、阿部さんが参加した学会である研究者が言い放った。奄美の森には数多くの生き物が息づき、複雑な生態系からマングースだけ取り除くのは難しいと考えられていた。世界的に見ても、奄美大島ほど大きな島で哺乳類を根絶させた例はなかった。 ■ ■ ■ 森の奥深くでの駆除に着手するため、環境省は05年にバスターズを立ち上げた。当初の課題は、広大な島でいかに効率よく作業を進めるかだった。それまで使われていた生け捕り用のかごわなは在来種を捕まえてしまう恐れがあり、毎日の見回りが必要で広範囲の作業に向かなかった。
そこでバスターズは改良次第で混獲を防げる捕殺用の「筒わな」を導入。ルリカケスやトゲネズミといった希少・固有種がかかりにくくなるよう改良を重ね、地域や季節でわなを使い分けるなどした。 初めのうちはメンバーの間にも、「根絶は難しいのでは」という空気があったという。大和村チームのリーダー園山大助さん(57)は「皆が主体的に意見を出し合い、試行錯誤を続けた。とにかくマングースを減らすことに注力した」と振り返る。 バスターズの知恵が詰まった独自のわなは月1回の点検で済み、管理できるわなの数は飛躍的に増えた。16年度には、毛細血管のように張り巡らせた点検ルートに約3万5000個を設置。約2万3000匹を捕獲した。 ■ ■ ■ バスターズは在来種の分布調査にも一役買った。わなの点検で山を歩きながら、生き物の姿や鳴き声を記録。09年には、マングースの捕獲数が減るのに反比例して、絶滅の危機にあった希少種が回復してきた。
「いろんな場所で簡単に見つけられるようになった」。アマミノクロウサギ研究の第一人者・山田文雄さん(71)は、クロウサギの回復を歓迎する。30年ほど前から奄美で生態を調べていたが、数年後には姿を消し、調査を中断せざるを得なかった。 今では島の南北に分断していた生息域がつながりつつあり、遺伝子の多様化で絶滅のリスク低下が期待される。山田さんは「バスターズ一人一人が奄美の自然の価値を理解し、丁寧に仕事をした。奄美の取り組みは世界の外来種対策のモデルになった」と語った。
南日本新聞 | 鹿児島