<春に挑む・二松学舎大付センバツへ>/中 秋の敗戦、誓った成長 苦しい場面こそ「自分たちで」 /東京
大勢の観客が詰めかけた神宮球場で、相手チームの選手がマウンドに集まり抱き合っていた。昨年11月13日の秋季都大会決勝。東海大菅生に敗れた二松学舎大付の選手たちの目には、優勝を決めて歓喜に沸く相手の姿が映っていた。 この試合、チームは一回に1点を先制するも、中盤以降に失点を重ね、2―8で敗れた。試合中、選手たちは「何とかしないと」と焦りを感じていた。しかし、最後までペースをつかめなかった。「何もできなかった」「だめなところが全部出た」。試合後、悔しさがこみ上げた。 チームは昨夏、東東京大会を制し、甲子園でも16強入り。このため新チーム発足は他校よりも遅れ、甲子園を去ってから1カ月もしないうちに秋季都大会の初戦を迎えた。全国の舞台で経験を積んだ選手たちの打撃は好調で、準決勝までの7試合中6試合で2桁安打を放ち、2年連続で決勝進出を果たしていた。 大会期間中、市原勝人監督は選手たちに繰り返し伝えた。「センバツに行くには優勝しかない。優勝しないといけない学校になったんだぞ」。甲子園4季連続出場を自分たちの手でつかみ取ってほしいという思いから出た言葉だった。 ただ、決勝は苦しい展開になった。同点の三回、2点本塁打を打たれた頃から、ベンチには重苦しい雰囲気が漂った。監督やコーチが「気持ちを切り替えろ」「まだ試合は終わっていない」と鼓舞したが、選手には届いていないようだった。四回から登板した重川創思(2年)は「自分が抑えないと」と力みすぎて球が高めに入って痛打され、追加点を許した。 6点を追う九回表、1死満塁の好機で、この試合で適時打を放っている4番・片井海斗(1年)に打席が回った。「みんなが回してくれた打席。自分がなんとかしないと」。しかし、心に余裕がなく、普段は見逃す高めの直球を打って内野ゴロになった。選手全員が自分のプレーを出せないまま、ゲームセットになった。 試合後、ベンチで緊急のミーティングが始まった。逃げ腰だったこと、そうした気持ちがプレーに出たこと――。監督の言葉が選手の胸に響いた。ミーティングは野球部の寮に帰ってからも続き、合計4時間に及んだ。 選手たちが気づいたのは、苦しい場面で自分たちが監督やコーチに頼っていたことだった。押切康太郎主将(2年)は「今までは監督が勝たせてくれたが、こういう試合では自分たちがやらないとだめだと思った」と語り、続けた。「一人一人が成長しないといけない」 チームは冬の練習期間に入った。プレーも精神面も成長するため、厳しい練習を乗り越えていくことになる。【小林遥】 〔多摩版〕