最愛の人を失った『ブギウギ』モデル・笠置シヅ子が引退撤回、再びステージへ!曲想が湧いた服部良一は喫茶店のナフキンに…戦後復興の象徴「東京ブギウギ」誕生秘話
NHK朝の連続テレビ小説『ブギウギ』。その主人公のモデルである昭和の大スター・笠置シヅ子について、「歌が大好きな風呂屋の少女は、やがて<ブギの女王>として一世を風靡していく」と語るのは、娯楽映画研究家でオトナの歌謡曲プロデューサーの佐藤利明さん。佐藤さんいわく「シヅ子のために、戦前、戦中と音楽面で彼女を支えてきた服部良一が作ったのが『東京ブギウギ』だった」そうで――。 【写真】「音楽の力ってすごい、と感じるようになった」と話す趣里さん * * * * * * * ◆東京ブギウギ 1947(昭和22)年12月30日、正月映画として鳴物入りで封切られた『春の饗宴』(東宝・山本嘉次郎)は、帝国劇場をモデルにした戦前からの劇場を舞台にした一夜の物語。 ここで笠置シヅ子演じる大阪のレビューの人気スターが「センチメンタル・ダイナ」を唄い、満場の歓声を浴びる。 客席からの「東京ブギ!」のリクエストの声に応じて「『東京ブギ』でございますか? まぁ、皆さま余程お好きなんですのね、じゃぁ、やりましょう!」とオーケストラボックスの指揮者を促す。 それまでドレスを着ていた笠置は、カジュアルなワンピースに着替えて、ステージに再登場して「東京ブギウギ」を唄い出す。 レコード発売は、翌1948(昭和23)年1月だが、映画のなかの観客たちは、みんなこの曲を知っているのだ。 日劇ダンシングチームを率いて、舞台せましと縦横無尽に歌い踊るシヅ子のパフォーマンスに圧倒される。
◆シヅ子は再びステージに立った 映像は雄弁、まさに映画はタイムマシンである。 その全盛時代を知らない「遅れてきた世代」にも、そのパワー、圧倒的なエネルギーが、時代の熱気とともに、ダイレクトに伝わってくるのだ。 このとき、シヅ子は33歳。 最愛の恋人・吉本穎右と結婚してステージからの引退を決意していた。 ところが、かねてから結核療養中だった穎右が23歳の若さで、この年の5月に病没、失意のなかで6月1日に長女・ヱイ子を出産、シングルマザーとなる。 シヅ子は生きていくために、再びステージに立った。 そのシヅ子のために、戦前、戦中と音楽面で彼女を支えてきた服部良一が作ったのが「東京ブギウギ」だった。 服部は、笠置の再スタートを応援するべく、リズミカルなブギウギのスタイルで明るい調子の曲を作ろうと作曲。 それが「東京ブギウギ」である。
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