日本でもっとも知られる鬼!スーパーデーモン「酒吞童子」とはどんな鬼だったのか⁉
■貴族の娘をさらい 天皇の命によって退治される 【時代】平安時代中期 【出典】『大江山絵詞』、『伊吹童子』、『酒呑童子絵巻』など 【地域】京都府福知山市(大江山)、滋賀県米原市(伊吹山)、新潟県燕市(国上寺)など 酒吞童子(しゅてんどうじ)は、日本人に最も良く知られた鬼である。かれは多くの鬼を従えて大江山(おおえやま)に住みつき、そこからしばしば京都の都に侵入し、盗みや人さらいを行ったという。 しかし乱暴の限りを尽くした酒吞童子は、勇者として知られた源頼光(よりみつ)に討たれたと伝えられる。これは平安時代中期にあたる、11世紀はじめのこととされる。 源頼光の鬼退治を記した『御伽草子(おとぎぞうし)』の『酒吞童子』には、次のような話が書かれている。 「大江山の鬼が、池田中納言(いけだちゅうなごん)という身分の高い貴族の娘をさらった。これを知った天皇は、源頼光に鬼退治を命じた。かれは「頼光四天王(してんのう)」と呼ばれる渡辺綱(つな)、坂田金時(さかたのきんとき)、碓井貞光(うすいのさだみつ)、卜部季武(うらべのすえたけ)と、藤原保昌(ふじわらのやすまさ)を従えて、大江山にむかった。 途中で一行は、3人の老人から神便鬼毒酒(しんべんきどくしゅ)という不思議な酒をもらう。それは人間には薬になるが、鬼が飲むと鬼のもつ神通力が失われるという。 その酒をもらった頼光は、上手に酒吞童子らに取り入り、酒盛りを始めた。そして鬼たちが酒に酔いつぶれたすきに、酒吞童子とその家来の茨木童子(いばらきどうじ)らを、ことごとく討ち果たした。頼光に酒を与えた3人の老人は、石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)・住吉(すみよし)大社、熊野(くまの)大社の神々であった」 源頼光は当代を代表する有力な武士の一人であった。ところが、この伝説ではかれは酒を用いた騙(だま)し討ちで酒吞童子を倒したとされている。 『酒吞童子』の『御伽草子』には、酒吞童子が桁外れの化物であったありさまが記されている。かれは越後(えちご)の山寺の稚児(ちご)であったが、法師と対立し、その山寺の多くの僧侶を殺して比叡山(ひえじざん)に移ったという。 このあと最澄(さいちょう)が来て、かれを比叡山から追放した。そのため酒吞童子は吉野山に移ったが、高野山(こうやさん)の空海(くうかい)によって、その呪力を封じられたという。 しかし最澄と空海が亡くなったあと、酒吞童子は呪力を取り戻して大江山に移った。そうすると各地の鬼たちが酒吞童子を慕(した)ってくるようになり、大江山に鬼の大軍団がつくられたという。 最澄や空海の時代から源頼光の時代まで、200年余りある。ここまで長生きする酒吞童子は、人智を超える存在とされたのであろう。 さらに酒吞童子の故郷とされる越後には、酒吞童子が母の胎内(たいない)に3年間いたという伝説まである。 監修・文 武光誠 歴史人2023年6月号「鬼と呪術の日本史」より
歴史人編集部