認知機能が低下すると、どうしてゴミ屋敷になってしまうのか【正解のリハビリ、最善の介護】
【正解のリハビリ、最善の介護】#53 「足の踏み場もありませんでした。どうやって暮らしていたのかわかりません……。ゴミがあふれて汚れや臭いもあり、部屋に入るためにモノを動かすのも大変でした。患者さんは本当に自宅へ帰れるのでしょうか?」 突然母が別人になった(4)真夏なのに「春」と答え、ここがどこかもわからない 入院中の軽度認知症患者さんの家庭訪問に行ったセラピストが言いました。 一方、患者さんは「もともと自宅では普通に暮らしてましたよ。掃除もしてるし、特に困ることはないですよ。家に帰ったら、大丈夫です。ちゃんとやれます。家の掃除も、帰ったらゆっくりやっていきます」と答えられました。 同じ現場を目にしている2人の感想が、セラピストと患者さんでこれほど違います。自分の「家」や「部屋」という空間は、患者さんのすべてを包み込んで守ってくれるのだと思います。患者さんは、ゴミが散乱した家の中の状態を問題とは感じておられず、むしろ安心感があるようです。 今後、自宅退院されても掃除はあまりされないでしょう。業者に頼んで一度きれいに掃除、廃棄、整理整頓してもらっても、誰かの継続的な支援がないと同じ状態に戻るのは時間の問題です。このため、患者さんと一緒に掃除や整理整頓を協力してもらえる介護サービスを整えてから、独居自宅退院していただきました。それにしても、なぜ「ゴミ屋敷」になるのでしょうか。 ■片付けは認知機能を鍛える大切な習慣 原因としては、住人が認知症や高次脳機能障害がある場合が多く、その重症度によって、病識低下、注意力低下、遂行困難、記憶障害、社会的行動障害が生じていることにより発生します。つまり、家や部屋が「汚い」とか「臭い」という意識がなくなるため、きれいに整理整頓して片付けるという必要性がなくなるのです。 軽症では、多少気になる場所があっても、すぐに忘れて気にならなくなり、すべてをきれいにする集中力はとても保てません。掃除を遂行する意思も生じません。また、モノを捨てようにも、何を捨てたらいいのかの判断もできなくなります。 中等症では、一般的にゴミと思われるモノが自分の所有物=宝と思い込むこともあります。 さらに、汚い、臭いという意識もなくなり、ゴミと一緒に生活するようになります。ゴミ屋敷でも“住めば都”なのかもしれません。そして、ゴミが部屋や家からあふれ外まではみ出すことになります。しかし、他人やご近所に迷惑をかけているという意識はまったくありませんし、「ゴミも自分のモノだ」という所有意識のみが強く残るため、地域との社会問題になってしまうのです。 一方で、認知症や高次脳機能障害がない健常な方でも、整理整頓や掃除ができない方はたくさんおられます。ゴミ屋敷に近い状態で平気で生活されている方もいます。なぜでしょうか。 それは、どんな生活環境で暮らしたいかをあまり意識されていないからです。自分が生活をしたい環境がイメージできれば、掃除や整理整頓は計画できます。希望する生活環境のイメージがないと、掃除や整理整頓は難しいのです。 片付けの専門家が言われるには、片付けはモノ別に正しい順番で、「ときめくモノ」だけを残し、一気に短期間で完璧にやり遂げることが大切だそうです。これらの判断力と遂行力は、認知症や高次脳機能障害の方には困難です。片付けの基本は、いらないモノ(手に取った時、ときめかないモノ)をすべて捨てることだそうです。これは、過去に対する執着や未来に対する不安もあり、健常な方でも簡単ではありません。しかし、自分が過ごしたい部屋のイメージをきちんと確定して、一度部屋の完成形を達成することで、モノが増えなくなるといいます。 捨てる順番は、衣類、本類、書類、小物類、最後に思い出品。残したモノはすべてに定位置を決めて、どこに何があるかわかるようにするのがコツだそうです。また、積まずに立てて収納する。そうした結果、片付けがうまくいくと、自分の判断に自信が持てるようになり、その後のマインドが変わるといいます。これだけの“大仕事”を遂行するには、しっかりとした病識、注意力、遂行力、記憶力と忍耐力が必要ですので、何よりも自信になります。 掃除や整理整頓は気持ちを落ち着かせ、自分のやりたいことや使命が見えてきて、情熱を注ぐ先を明確にさせる場合もあります。つまり、掃除や整理整頓の実践は認知機能や高次脳機能を鍛えるとても大切な日常習慣なのです。そして、それを遂行できる体を保つこと自体が、とても重要な健康管理なのです。 (酒向正春/ねりま健育会病院院長)