協力醸造の日本酒も出荷。被災から約4か月、歩みを続ける能登の老舗酒蔵〈松波酒造〉
コロカルニュース
■蔵から救い出した日本酒や酒米が被災した酒蔵の進む力に 2024年1月1日16時10分に発生した能登半島地震。被害が大きかった奥能登の輪島市、珠洲市、能登町には11の酒蔵があります。そのひとつ、能登町の〈松波酒造〉は地震発生直後に家屋や蔵が倒壊。地元での酒づくり再開の目処が立たないなか、無事だったお酒や取り出せた酒米で仕込んだ日本酒を少しずつ販売しています。 【写真で見る】4月上旬に出来上がった〈大江山 GO 純米大吟醸〉 冬は日本酒づくりが忙しい季節。松波酒造の若女将、金七(きんしち)聖子さんは今年も元日だけがゆっくりできる予定でした。大きな揺れに襲われたのは、初詣を午前中に済ませ、3階の自室でのんびり過ごしていた午後のこと。 能登は2020年12月以降群発地震が発生していて、最初は「またか」と思ったといいます。しかし十数秒後、これはいつもとは違うと察して日頃から何かのときの命綱だと感じていたスマートフォンとパソコン、電源ケーブルだけを抱えて階下へ。 100年以上経っている建物に増改築を繰り返してきた店舗兼住まいは、そのときすでにあちこちに被害が出ていました。 ケガをして動けなくなっていた妹さんや98歳の祖母を含めて自宅にいた家族7人は外へ。金七さんと社長である父・政彦さんは、それでも蔵の様子を見に行きました。黒い瓦ぶきの蔵は「巨人が倒れていたようだった」と金七さんはその様子を振り返ります。 蔵には代表銘柄〈大江山 おおえやま〉のもろみや搾った新酒と瓶詰めされた半製品、およそ3トンの酒米、そして長期熟成酒〈双心〉が保存されていました。なかでも金七さんが気掛かりだったのは〈双心〉です。2005年、2006年、2015年に仕込んで熟成された日本酒〈双心〉をラグジュアリーな酒として販売するプロジェクトが進行中で春先には瓶詰めをする予定だったからです。 「絶対生きている酒はあるはず。酒は出す」という強い気持ちとともに家族と一緒に避難所指定の松波中学校に辿り着きました。 数日後、金七さんは財布も身分証明書となる運転免許もない状況で金沢のホテルへ二次避難。明治元年から続いてきた酒蔵はどうなるのか事業に欠かせない実印や重要書類などを取り出せないものかと方々に相談するうちに災害レスキューと呼ばれるNGOのひとつ、〈災害NGO結〉が協力してくれることになりました。 ■蔵から救い出した酒米はやさしい味わいの〈大江山 GO 純米大吟醸〉に 1月中旬、現場にいるNGOの人から送られてくる映像を頼りに金沢にいながら敷地の様子を確認。すると、ご当地酒米〈百万石乃白(ひゃくまんごくのしろ)〉を含む酒米約100袋が取り出せる状況にあることがわかりました。 運搬に必要なトラックや重機、保管場所、人手などを伝手を頼って確保して、酒米を運び出したのは1月末のこと。 運び出した酒米は能登町から約150キロ離れた小松市の酒蔵〈加越〉に運び込まれました。以前から付き合いのあった加越の社長と杜氏が快く引き受けてくれたからです。2月中旬からは加越の蔵で、救い出した酒米を使って協力醸造酒として酒を醸すことになりました。一部の作業には金七さんも参加しました。 そして4月上旬に出来上がったお酒の名前は〈大江山 GO 純米大吟醸〉。“GO”には、新しい一歩、たくさんの人の力が合わさった“合”、“酒豪の豪”、強さの“強”、“郷里”などさまざまな意味が込められています。 〈大江山 GO 純米大吟醸〉は「最初はフルーティーで、やさしい風が吹いてくるような甘さがあります。飲み進めると、すっと辛口が消えてキレがいいです」と金七さん。