「社長は70歳で辞めた方がいい。子どもっぽくなるから」 バナナペーパー売上げ200倍、会社を変えた3代目 ~山櫻後編
豪腕のカリスマ創業者が65年間も君臨し、「イエスマン」しか育っていなかった紙製品メーカー「山櫻」を41歳で受け継いだ市瀬豊和社長は、会社の変革に乗り出した。IT化、デジタル化を強力に進め、社会的課題に配慮したエシカル製品「ワンプラネット・ペーパー、通称バナナペーパー」などの新機軸も打ち出し、チャレンジできる社風を根付かせた。一方で、反発して社を去るベテラン社員もいた。事業承継や社風変革において大切なことを、市瀬社長に聞いた。 【動画】売り上げ200倍、貧困も救った?
◆トップダウンでデジタル化、やめていくベテラン社員も
――IT化、デジタル化にも取り組まれ、社員の反応はどうでしたか。 デジタル化は、やっぱりトップダウンでないとできないんです。 資金もかかるし、事務作業など業務のやり方も変えないといけない。 そして、無駄な作業を切ってやめさせる。 「辞める人がいてもいいからやろう」と言って進めました。 例えば、手書きの商品加工伝票がありまして、5枚ぐらいのカーボン複写式だったんですね。 それを、1枚ずつ社内の各セクションに紙で持っていく。 もう一切それやめようって言って、社長になって2、3年目にトップダウンでやりました。 新システム導入に伴い、パソコンを全営業や手配業務担当者に持たせました。 ベテラン社員には、結構反発して、やめた人もいましたね。 一方で、そのあたりで新しい社長は、やることが違うと感じてくれたと思います。
◆資金繰りは大変だった
――承継に当たって、山櫻には株式の問題はありましたか。 同族企業だから当然ですが、創業者夫妻が大半、あとは私の母や叔母がメインで、残りは私の父親も叔父も持ってました。 だから、株の所有を巡る問題はなかったですね。 大変だったのは、祖母と祖父が同じ年に亡くなったことです。 株の移転や相続が一気に起きました。 祖父母は、すごく真面目な経営者で、資金は全て経営につぎ込み、必要な工場や自社ビルに投資していました。 だから、株価だけが上がって預金が少なく、不動産も自宅だけ。 相続に関する資金繰りは大変でしたね。 父や叔父、僕らも払える額ではないので、会社との借金などいろんなことで乗り切ってきました。