「郵便切手」に、じつは「別の名前の候補」があったことをご存知ですか…? 前島密が考えていたこと
もしかすると「あの名前」だったかも
私たちの身近にある「切手」。多くの人がスマホなどでメッセージを送るようになっても、多数の「切手好き」がいるところを見ると、切手がもつ「文化」としての存在感の大きさを感じずにはいられません。 【写真】前島密は、こんな顔でした そんな切手の歴史を知るのに最適な一冊が、その名も『切手の歴史』。著者は、女子美術大学名誉教授で歴史学者・暦学者の岡田芳朗さん(故人)です。 本書は切手という文化について、さまざまなことをおしえてくれます。 たとえば、「切手」という名称。19世紀に日本で郵便制度がはじまったさい、現在「切手」と名指されているアレには、「別の名前の候補」があったそうです。同書より引用します(読みやすさのため、改行などを編集しています)。 〈今日では切手・キッテといえば、まず郵便切手と相場がきまっている。たいがい郵便切手といわずに、切手といって用をすましている。 ところで、もともと切手という言葉は、切符と手形と両方の意味をもったもので、古くから有価証票を指す用語としてひろく用いられたものである。現在でも、この本来の用法が「小切手」としてのこっている。ところが、郵便切手のほうがあまりにも通行してしまったために、小切手の呼称のほうが、「切手でもないのに小切手とはへんだ」と感じられるようになっているから妙なものである。 明治4年(1871)に郵便を創業するにあたって、日本郵便の父・前島密は、料金前払いの証票をいったいなんと名づけたらよいものかと苦心したあげく、一般に料金渡し済みの証書として交換されている切手の語を用いることにしたのである。そのとき「印紙」という案もあったが、大衆に親しみのある切手に軍配があがったわけである。〉 〈もっとも印紙という言葉は、郵便以外でひろく用いられるようになり、収入印紙などを郵便局で取り扱うところから、切手のことを印紙と呼ぶ人も稀に存在する。切手のほうもはじめは「賃銭切手」「書信賃銭切手」「書状切手」などと呼ばれており、「郵便切手」に落ち着くまでには多少日時がかかったようである。 明治時代には、切手はまだ一般には有価証券の意味で使われることがあり、切手屋といえば、ノミ行為をしない証券の売買業者のことであったし、鉄道の切符や劇場の入場券などを、切手と呼ぶことさえあった。 切手はこのように料金前払い証票を指す言葉だが、通行切手や関所切手のように、通行を保証する証票を指す言葉として、手形とおなじ意味に用いられることがあった。江戸城大奥への出入り口に切手御門・切手番所があったのは、この例である。 前島密が、有価証票と通行手形の両方の意味をもつ「切手」という言葉を採用したのは、まったくの好打であったといえよう。前島はかな文字論者で、幕末に漢字を廃止してかな文字を使用するようにという建白書をだしたことがあるだけに、言葉に対する鋭い感覚を身につけていた。郵便切手の命名などは、そういう前島のグッド・センスの現れだといってよいだろう。 郵便切手の郵便も前島の命名で、これは当時では少々見馴れない難解な用語だったらしい。というのは、江戸時代には飛脚とか飛脚便というのがふつうで、ごく稀に郵便という言葉が用いられることがあったにすぎない。郵便の語源は、きわめて古いもので、中国古代では宿場や駅のことを郵といい、手紙を郵書、渡し船を郵船と呼んだ例がある。前島は民営の飛脚便と区別するために、あえて古めかしい郵便という言葉を使用したのである。〉 じつは、切手は「印紙」になる可能性もあった……。日本が郵便や金融といった近代的な制度をととのえていくときの雰囲気が、「切手」という名称から見えてくるようです。 さらに【つづき】「「郵便切手」「消印」は、英語でなんと呼ぶ…? その「意外な呼び方」の歴史から見えてくること」でも、切手の歴史についてくわしく解説しています。
学術文庫&選書メチエ編集部