愛知県民すら知らない「豊橋うなぎ」のこだわり 県収穫量8割以上占める「一色産うなぎ」との差
■20歳で社長に就任し、会社の立て直しに奔走 夏目商店は1967年にうなぎの卸問屋として夏目さんの祖父が創業した。現在、夏目商店は自社の養鰻池が14面と、提携養鰻場が26面の計40面でシラスと呼ばれる稚魚からうなぎを育てている。祖父の代においても今ほどの規模ではないものの、養鰻も手がけていた。 祖父が扱ううなぎの品質は良く、全国でもトップクラスとの評判を呼び、業績は右肩上がりだった。祖父の亡き後は父親が後を継いだが、夏目さんが中学1年生のときに亡くなってしまった。その後、母親が社長となったものの、毎年赤字が膨らみ続けていた。
「高校を卒業したら、私が会社を立て直そうと思いましたが、右も左もわからなかったので、知り合いの卸問屋で修業をさせてもらいました。それで20歳の誕生日に会社を引き継ぎました。でも、まだ社長としての自覚がなくて、3、4年経った頃からこのままでは潰れてしまうという危機感をもって仕事に取り組みました」(夏目さん) 夏目さんが考えたのは、メインの卸業以外に新たな収入源を増やすことだった。それが加工・販売だった。実は、夏目商店は創業者の祖父が業者から買い取ったうなぎを焼いて販売したことが原点となって卸問屋として開業したという歴史がある。
夏目さんが会社を引き継いだ頃、うなぎの価格がじんわりと上昇しはじめていた時期でもあり、この先、卸業だけでは厳しいと思っていた。何よりもお客さんに美味しいうなぎを提供したいと考えると、養鰻をテコ入れして加工、販売まですべて自社で行うのがベストだろうと判断した。 「ところが、先代の頃から働いている社員たちから『卸業だけでよいのではないか』と反発されましてね。新規事業に対する不安や私のやり方に対する不満もあったのでしょう。1人辞めると、また1人、2人と辞めて、最終的に私と姉の2人だけになってしまったこともありました。その時期がいちばんキツかったですね」(夏目さん)