恐怖の「大連動」…この国で起きた「巨大地震と富士山噴火」大連動の恐怖
2024年1月1日、能登半島地震が発生した。大地震はいつ襲ってくるかわからないから恐ろしいということを多くの人が実感した出来事だった。昨年には南海トラフ「巨大地震注意」が発表され、大災害への危機感が増している。 【写真】日本人が青ざめる…突然命を奪う大災害「最悪すぎるシミュレーション」 もはや誰もが大地震から逃れられない時代、ベストセラーの話題書『首都防衛』では、知らなかったでは絶対にすまされない「最悪の被害想定」が描かれ、また、防災に必要なデータ・対策が1冊にまとまっている。 (※本記事は宮地美陽子『首都防衛』から抜粋・編集したものです)
前代未聞の大災害
今から320年ほど前、前代未聞の大災害は起きた。1703年の真冬、激しい揺れが深夜の東京都、千葉県、神奈川県(いずれも現在)を襲う。江戸時代、現在の関東地方を急襲した「元禄地震」だ。 被害の詳細はいまだ確定されていないものの、最大震度7に相当する強い揺れが起き、死者は1万人を超えたと伝えられる。10メートル超の津波は沿岸に住む人々に襲いかかり、一瞬にして多くの命を奪った。 2008年3月に千葉県が発行した防災誌には、古文書や供養碑などをもとに当時の被害がこのように記されている。 「房総半島南部では4メートル以上も土地が隆起、また沈降したために、農業や漁業を営んでいた当時の人々の生活に大きな影響をおよぼしました。大きな地震動と同時に、目の前にあった山が沈み、または今までなかった浜が出現したのです。これらの現象がどれだけ当時の人たちを驚かせたことでしょう」 巨大地震は強い揺れや津波とともに、大きな地殻変動も生じさせている。 国土交通省によると、元禄地震が発生したときの日本の人口は3000万人弱と推計される。単純比較は難しいものの、現在の人口で表せば死者は4万人を超えるレベルだ。しかし、江戸時代中期の我が国を襲ったのは元禄地震にとどまらない。 4年後の1707年10月、今度は駿河湾から四国沖の広い範囲で大きな揺れが発生した。マグニチュード(M)8.6と推定される「宝永地震」は南海トラフの巨大地震で、最大震度7に達したとみられる。海岸部では最大で津波高約15メートルの大津波が発生し、現在の大阪を中心に死者は2万人以上と伝えられている。 内閣府の「災害教訓の継承に関する専門調査会報告書」(2014年3月)によれば、宝永地震のような南海トラフの大規模地震が発生した後には周辺の地殻に加わる力に大きな変化をもたらす。発生後に地震や火山活動が活発になる場所が現れ、宝永地震発生の翌日早朝にはM6.5程度の地震が富士山の東麓で発生。そして、49日後には富士山の噴火活動が始まる。 大量の火山灰が飛来し、地震による被害が少なかった関東平野でもダメージが生じた。この「宝永大噴火」は2週間も断続的に続き、江戸にまで火山灰は降り積もっている。報告書は「少なくとも宝永地震のような非常に大規模な地震の発生後数ヶ月間は、誘発される別の地震や噴火、土砂崩れなどの災害にも注意が必要である」と指摘している。 元禄から宝永年間に続発した巨大地震と富士山の噴火は何を物語るのか。現在と違って詳細なデータは残されていないものの、少なくとも言えることは二つの大地震と富士山噴火が連動し得るという恐怖だ。あえて名をつけるならば、「大連動」と言ってよいだろう。それが今から320年ほど前、現実に起きた意味は決して小さくはない。 では、人口が当時の4倍超に増加し、列島のいたるところで人々が暮らすようになった現在の我が国で首都直下地震、南海トラフ巨大地震、富士山の噴火という「大連動」が生じたらどうなるのか。 交通網やインフラが全国に行き渡り、物流が東西の垣根なく展開される今日に発生すれば、その被害は当時とは比べものにならないほどのインパクトを与えるだろう。タワーマンション(タワマン)や高層ビルが林立し、スマートフォン(スマホ)に連絡手段と情報収集を依存する今日ならではの課題も浮き上がる。 江戸時代の我が国を苦しめた「大連動」が再び起きたとき、あなたはどうするか。それでは、最新の被害想定などをもとにした「最悪のシミュレーション」をご覧いただこう。 つづく「『まさか死んでないよな…』ある日突然、日本人を襲う大災害『最悪のシミュレーション』」では、日本でかなりの確率で起こり得る「恐怖の大連動」の全容を具体的なケース・シミュレーションで描き出している。
宮地 美陽子(東京都知事政務担当特別秘書)