「45歳で“自分は力持ち”だと気づいた」武田真治が焦らず生きることを決めた理由 #今つらいあなたへ
忌野清志郎さんのおかげで“人に甘えること”を覚えた
――当時を振り返って、今思うことはありますか? 武田真治: 当時は「人に迷惑をかけちゃいけないし、かけたくない」という思いが強くありました。でも今は、「どうやって人に甘えようか」と思っていますね(笑)。また、何をしたら甘えた分の恩返しができるのか、どうしたら人の役に立てるのか、と考えるようになりました。それが新しい出会いの楽しみだったりもしますね。 こう思えるようになったのは、忌野清志郎さんがRCサクセション解散後、新たにバンドを始めるときに僕をメンバーとして迎えてくれたことが大きなきっかけでした。ユニットに参加させてもらったとき、まだあごの調子が良くなかったんですけど「それでもいいよ。一緒に全国ツアーを回ろう」と言ってくださったんです。「サックスを吹かないパートは歌詞を覚えて、マイクを通さなくていいから横で一緒に歌っててくれ」と。そのときこれが、清志郎さんの僕への甘えなのかもしれないと感じたんですよね。“俺だけ歌って、俺だけかっこよければいい!”じゃなくて、清志郎さんもプレッシャーを感じながらギリギリの気持ちでやっているのかもしれないなと。「近くで一緒の気持ちでいてくれ」というカリスマの内部に触れられたことで、「これが人といる意味かな」と思えるようになりました。 全国ツアー中は一緒に自転車で移動したり、一緒に食事をしたりして、カリスマの生活を見せてもらいましたね。実は僕、食べないほうがかっこいいと思っていた時期もあったんです。食べる暇もなく仕事をしているんだぞ、みたいに思ってて。でも、清志郎さんと一緒にいることで、「生活をやりくりするからかっこいい。生活を捨てて自由ぶることは決してかっこよくないな」と思うようになりました。時が経てば経つほど、あの時期は自分にとって宝物だなと思いますね。
SNSの中の誰かと比べて、無理やりそこに並ぼうとしなくていい
――かつての武田さんのように、人と比べたり、プレッシャーを感じて、自分らしく生きることが難しいと感じている人もいます。どんなことを伝えたいですか? 武田真治: 今の風潮って、ついつい煽られません? SNSを開けば、「この人、いつも海外旅行に行っているな」みたいな人がいたり、もう働かなくても良いくらいの資産を持つ若手のYouTuberがいたりしますからね。そういった人を目にすると「なんで自分はできないんだ」とか「俺は何をしてるんだ」って思うかもしれないけど、そこに並ぼうとしなくて良いというか。それってもう特殊な人たちなんだし。 もちろん、見本やお手本として追いかけるなということではありません。今すぐそうならなきゃいけないわけではないし、もっとのんびりと人生を考えても良いのかなと思うんですよね。 アメリカの俳優、クリント・イーストウッドが代表作となる映画『ダーティハリー』に出会ったのは40歳を過ぎてからですし、ジョニー・デップがジャック・スパロウを演じたのも40歳近くでした。逆に名子役と言われた若きスターがつまずく姿をメディアで目にすることもあるように、若くして自分のやり方を見つけた人が、ずっとそのまま上手くいくばかりでもないというか。別にその人たちの不幸を願っているわけじゃないんですよ。のんびりと、自分の血となり肉となることをやっていけばいいんじゃないかなと思います。今の例えのあとでお恥ずかしいですが、僕は自分が人より筋肉質で、そこそこの力もちだと気づいたのは45歳ですからね。それまでは知りませんでした(笑)。 きちんと自分と向き合っていたら、時間がかかっても自分らしさは見つかると思います。もちろん、若い頃の僕のように「自分はこうだ」と決めて、そのためだけに行動することも、時には大事かもしれませんが、環境や経済力も関係してくると思うので、焦らず、のんびりと人生を歩んでほしいです。 ----- 武田真治 1972年生まれ、北海道出身。俳優、サックスプレーヤー。1989年、高校在学時に「第2回ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」でグランプリを受賞したことを機に、芸能界入り。1990年俳優デビューし、1995年にはシングル「Blow Up」でミュージシャンデビュー。「めちゃ×2イケてるッ!」(フジテレビ)などバラエティ番組でも活躍する。2018年、NHK「みんなで筋肉体操」で再ブレイクを果たす。 文:優花子 (この動画記事は、TBSラジオ「荻上チキ・Session」とYahoo!JAPANが共同で制作しました)