俳優・原田大二郎が若者にエール「とにかく熱中することを見つけて」 西田敏行さんとの思い出も懐古
平田オリザさん(劇作家・演出家)のラジオ番組(ラジオ関西『平田オリザの舞台は但馬』)に、俳優・原田大二郎さんが出演。俳優になったきっかけや自身の出世作を振り返ったほか、『豊岡演劇祭2024』に参加した経緯、若者への思いなどについて愛情たっぷりに語った。 【写真】俳優・原田大二郎が熱演 「朗読とパーカッションの新世界」の様子 御年80歳。今なお精力的に舞台に立ち続ける原田さんのキャリアは、明治大学の英語部からはじまった。大学2年生のとき、英語劇のキャストに選ばれた原田さん。最初は戸惑いを隠せなかったが、「あるとき、なにかが降りてくる感覚があった」と振り返る。 「トランス状態というか、自分なのか、役なのかがわからなくなった。終演後、先輩が泣きながら駆け寄ってきて、『原田、ありがとう』と言うんですよ。『(芝居は)人を感動させるんだ、すごいな』と思いました」(原田さん) 同舞台をきっかけに俳優の道を志し、大学卒業後には文学座に入団した。 原田さんと同じく、学生時代から脚本家・演出家への道を歩みはじめた平田さん。原田さんのエピソードを受け、「楽しいですよね。若いうちは体力があるから、稽古が終わってもずっと芝居のことを考えていられる。僕は脚本でしたから、講義の間はずっと台本を書いていました」と懐かしんだ。 新藤兼人監督の映画『裸の十九才』(1970年)で主役を務めた原田さんは、同作でエランドール新人賞を受賞した。「撮影しながら『死んでもいい』と思えた」と語る原田さんは、同作のオーディションでのエピソードを明かした。 「オーディションでは、最後の8人に西田(敏行)君も残っていたが、再オーディションになった。新藤さんの助監督が僕のデビュー作『エロス+虐殺』をたまたま観ていて、推薦してくれて(主役に)決まったんです。西田君とは、ドラマシリーズ『池中玄太80キロ』のときに仲良くなった。西田君は、『どんな奴が(主演を)やるんだ! と見に行ってみたら大ちゃんだった』と告白してくれました」(原田さん) 長きにわたり、数多くの作品で活躍してきた原田さん。今年9月6日~23日の期間で開催された『豊岡演劇祭2024』ではフリンジプログラム(一般公募枠)に参加し、平田さんを驚かせた。 平田さんが、「若いスタッフが原田さんの名前を見て、『いたずらではないですよね?』と(笑)。2時間立ちっぱなしで挑まれる朗読劇でしたが、専門職大学の学生らも今回の演劇祭でベストに挙げるほどでした」と話を向けると、原田さんは「若い人がそんなふうに言ってくださるのはうれしいなあ!」と笑顔をほころばせた。 演劇祭では、「朗読とパーカッションの新世界『城の崎の先』」を上演。近年、パーカッショニストの佐藤正治氏と取り組んでいる「朗読とパーカッションの新世界」について、このように語った。 「(佐藤氏を紹介してくれた人に)『高瀬舟の朗読をパーカッションとともに(してほしい)』と言われたんだけれど、最初は『パーカッションの音に勝てないから無理だよ』と(断っていた)。でもやってみると、同じ“音”を聴いている感じがあって意外に良かったんです。そこから、全国でいろいろな作品を上演してきました」(原田さん) 演劇祭のフリンジプログラムへの応募は、佐藤氏の妻からの提案だったという。 作品を観た平田さんは、「原田さんの2時間の熱演はもちろんですが、佐藤さんのパーカッション、ミキサーの技術もすごい。ともすれば、パーカッションの音が朗読の説明になってしまうが、そこを微妙に避けて、BGMではない独立したパーカッションの“音”になっていた」と、感動をあらわに感想を述べた。 演劇祭について、原田さんはこのように振り返った。 「会場の金波楼も趣があって素晴らしかったし、豊岡の人にもいろいろご案内いただきました。魚もおいしいし、お湯もいい。マリンワールドに行ってアジも釣りましたよ。とにかく人が素晴らしい。素敵な3日間を過ごしました」(原田さん) 原田さんのコメントを受け、平田さんは、「豊岡の人たちには、1300年にわたって湯治客をもてなしてきた歴史があります。ほかから来た人々を歓迎するんですよね」と考察を述べた。 番組の最後、原田さんは若い人に向けて次のようなエールを送った。 「僕はいま、こうして“音”にこだわって活動を続けていますが、若い人に伝えたいのは、人生、とにかく熱中することをみつけてほしい(ということ)。熱中することが大事だよ」(原田さん) ※ラジオ関西『平田オリザの舞台は但馬』2024年11月21日放送回より
ラジオ関西