人生の転機に響いた、スティーブ・ジョブズ最後のアドバイス
1. ビジネスプランの見直しを恐れない
フー氏は1997年に、Geomagicを設立しました。当時の彼女が思い描いていたのは、お客さんが「3Dスキャナーに足を乗せて」「その翌日に、カスタムメイドのハイキングブーツを受け取りに戻ってくる」ことを可能にするソフトウェアでした。 ところがほどなくして、消費者ブランドにサービスを提供するだけでは、会社として生き残れないことに気づきました。 フー氏のチームは、路線変更をはかりました。歯科医療やタービン機構といった、価値の高い製品を大量生産する産業に、自分たちの製品を適用するには、どうすればいいのか? チームはその可能性を探りました。 「市場への参入に、失敗はつきものです」と、フー氏は言います。 また、その後も失敗は続く、とも同氏は語っています。 市場はどう動いていくのか? 自分たちが立てた仮説が正しいとはかぎりません。もし正しくなければ、市場のニーズやトレンドに合わせて、路線変更をはかるべきです。 自分たちのソリューションが、もはやその産業で大きな役目を果たしていないと気づいた時点で、その会社の賞味期限は切れている、とフー氏は言っています。
2. 自分のキャリアの道は、「好きなこと」で切り開く
駆け出しのころのフー氏は、テクノロジー系研究開発大手であるAT&Tベル研究所で働いていました。 その後、退職して、イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校のリサーチセンター、National Center for Supercomputing Applications(NCSA)に就職しました。 その仕事はとても興味深かったので、「給料が大きく下がるのを承知のうえで、この仕事に就きました」。 この変化を受け入れた価値は十分にありました。NCSAにおける彼女の最初の仕事のひとつは、『ターミネーター2』のCGでした。そして、彼女が雇った最初の学生は、のちにネットの開拓者になり、ベンチャーキャピタル投資家になるマーク・アンドリーセン氏でした。 フー氏は、給料よりもやりがいを優先するこうしたやり方を、その後もかたくなに守りました。 これまでにいろいろな仕事に就いてきましたが、そのそれぞれで、もっと好きな仕事だからという理由で、給料が安くなることを受け入れてきました。やがて、すべてが積み重なってひとつの道となり、その道を楽に歩けるようになりました。