原作者とモメる完璧主義者キューブリックの『シャイニング』は異質の怖さ
<監督から脚本、撮影、美術、編集、音楽まで全て支配しようとするキューブリックは、『シャイニング』原作のスティーブン・キングとも大いにもめた>
映画を仕事している人たちの多くにとってスタンリー・キューブリックの名前は、きっと特別な響きを持つはずだ。【森達也(映画監督、作家)】 <動画>『福田村事件』公式トレイラー 20代前半の頃に名画座で観た『博士の異常な愛情』(1964年)、『2001年宇宙の旅』(68年)、そして『時計じかけのオレンジ』(71年)の衝撃は圧倒的だった。 キューブリックの独自性は、監督だけでなく脚本や撮影、美術、編集、さらに音楽や製作まで全てを支配しようとする姿勢に現れている。つまり完璧主義。この言葉を冠される映画監督は少なくないが、キューブリックの姿勢は突出している。だからこそ、『2001年宇宙の旅』の原作者であるアーサー・C・クラークや『スパルタカス』(60年)脚本のダルトン・トランボなど、原作者や脚本家との確執や内紛は少なくない。 実はキューブリックは、方向性が全く定まらない監督でもある。政治や政治家を批判して揶揄する『博士の異常な愛情』、社会の秩序に異議を唱える『時計じかけのオレンジ』、戦争と軍隊への嫌悪を隠さない『フルメタル・ジャケット』などを発表しながら、宇宙の創生と知性の存在に触れる『2001年宇宙の旅』や、ジャンルとしては歴史ものに位置する『バリー・リンドン』、男と女の究極に迫る『アイズ ワイド シャット』など、統一感はほぼない。自分を踏襲しないのだ。しかも必ず原作は別にある。作家的姿勢と職人的気質が同居している。 『シャイニング』公開後、原作のスティーブン・キングとキューブリックはやはり激しくもめた。当然だろう。ホテル(あるいは土地)が持っていた邪悪な意図など原作の重要なエッセンスを、キューブリックはほとんど無視している。そもそも超能力を意味するタイトルの意味も、映画ではほぼ消えている。原作を無理に壊そうとしているとしか思えない。
■キューブリックの前でアドリブ?
ウェンディ(シェリー・デュバル)が隠れるバスルームの扉をたたき割って顔をのぞかせたジャック(ジャック・ニコルソン)が「Hereʼs Johnny!(ジョニーだよ!)」とうれしそうに言うシーンはあまりにも有名だが、なぜジャックではなくジョニーかといえば、米NBCで放送されていた『トゥナイト・ショー』でジョニー・カーソンが紹介されるときのフレーズをニコルソンがアドリブで言ったとの説がある。よくまあキューブリックの前でアドリブができたなあと思うが、何十回もテイクを重ねたらしいから、もちろん最終的にはキューブリックの判断だ。 最も怖かったのは、ジャックがずっとタイプしていた原稿をウェンディがのぞくシーンだ。何百枚もの原稿には、「All work and no play makes Jack a dull boy(仕事ばかりで遊ばないとジャックはばかになる)」とひたすら書かれている。悪魔も幽霊も出てこない。それらしきシーンはあるが、精神を病んだジャックの幻想にも見える。一人息子のダニーが廊下で双子の少女と出会うシーンはあるが、それも事実かどうかは明確ではない。 観ながら思う。自分は今、ジャックの幻想を観ているのではないか。それが分からない。だから怖い。明らかにゾンビやスプラッタ系とは異質の怖さだ。 『シャイニング』(1980年) 監督/スタンリー・キューブリック 出演/ジャック・ニコルソン、シェリー・デュバル、ダニー・ロイド <本誌2024年2月20日号掲載>
森達也(映画監督、作家)