消えた右。井上尚弥の衝撃70秒KOは計算されていた
「楽しんで戦う」メンタルコントロール
「慎重にスピードを見切ろう」 それが序盤の真吾トレーナーの助言だった。 井上は、左でジャブを打つわけでなく、パヤノの右のグローブをパンパンと叩くような軽い動きを繰り返しながら距離感を探った。まるで昆虫の触覚のようである。パヤノが飛び込んでくると、そこに右のアッパーをカウンターで合わせたが、紙一重で空を切った。そのタイミングを見たとき大橋会長は「これは早く終わる」と秒殺の予感がしたという。 再び70秒の衝撃の一発の本人回想。 「あの踏み込みのワンツーは倒すつもりではあった。相手が反応できなかった。体が勝手に動いていた。インサイドジャブをついたところに、若干、反応していたが、自分がちょっと早かったってことです」 ーー計算づくだった? 「踏み込みは、練習していた。パヤノの映像を見ているとバックステップの速さがかなりありテクニックもある。それ以上に踏み込まないと当たらないと考えていた」 ステップインという名の足で破壊したのだ。 パヤノの作戦は「距離を取ってパンチの届かないところでボクシングをすること」だった。だが、その距離を驚愕のステップインと、スピードで潰したのである。 おそらく井上はトップアスリートが感じる「ZONE」に入っていたのだろう。凄まじいまでの集中力だ。 WBSS流の演出で入場前にコーナーポストの手前にあるステージでスポットライトを浴びる時間があった。井上が右手を上げるだけで1万人の「ウォー」という大歓声が沸き起こったが、パヤノの入場を待たねばならず、本人いわく「最初はよかったけれど、あの時間は長かった」。 集中力が途切れてもおかしくない状況にあった。 だが、リングインするなり、真吾トレーナーは、「いつも通り!集中して!」と、それだけを耳元でささやいた。 「集中は、毎回するが、トーナメントの一発目で日本で開催ができている。置かれている立場も十分にわかっている。それ以上に集中していた」 控え室の様子も、3階級制覇に成功した5月のジェイミー・マクドネル戦とは少し違ったという。前回は、かなりナーバスになり「一人の時間を作ってほしい」と、数人を残して控え室から人払いをした。だが、今回は、「余裕というか、楽しんでやろうという雰囲気があった。マクドネル戦は、計量後にでかくなってきたり、初のバンタムだったり、わからない部分が多すぎたからね」とは、真吾トレーナーの談。 井上も、試合前から必ずコメントに「楽しむ」というフレーズを挟みこんでいた。 「楽しむイコール、自分の本来のボクシングができる。楽に平常心で戦うということ」 プロ17戦目にして井上はリング上で最大の集中力を発揮するためのメンタルコントロールの術を身につけていた。 裏に隠れていた70秒衝撃KO劇の理由である。