【五輪卓球の歴史エピソード】メダルの可能性の低い日本選手はテレビで見ることができない!? そして、シドニーで中国の壁は厚くなり、高くなり・・・
2000年のミレニアム五輪、シドニー。1992年五輪金メダリストのワルドナーが決勝に進んで2度目の優勝を狙ったが、固い守りと両ハンドのドライブを持つ孔令輝(中国)が立ちはだかり、初優勝を達成した。1995年世界選手権で中国の両面裏ソフトの男子ドライブ型として初めてシングルスのタイトルを取った孔令輝はようやく五輪の金メダルを獲得した。王励勤と並んで、中国男子はシェークドライブ時代に突入していく。 「卓球キング」「神の子」と呼ばれたワルドナーは8年ぶりのメダル獲得で、10年以上、世界のトップで活躍した。 女子は鄧亜萍・喬紅から王楠・李菊に世代交代し、王楠が単複で優勝した。男女とも守りの強さと両ハンドドライブという、オールラウンドでミスのない選手が五輪を制した。 日本では1994年アジア競技大会優勝者の小山ちれのベスト8が最高成績で、メダルへの道は見えてこなかった。五輪でも日本は低迷期から抜け出せないでいた。メダルの可能性が低いために日本のテレビ放映に卓球が登場することはほとんどなかった。 この大会後に、卓球はボールが直径38㎜から40㎜となったことでスピードと回転が落ち、試合は21点制から11点制へと移行した。セルロイドボールの直径38mmのボールは今と比べてもスピードが速く、イレギュラーバウンドもするためにカウンター技術は難しく、ワルドナー、孔令輝のようにブロックのうまい選手が覇権を握っていた。 中国の緻密でありながら要所でパワーを発揮する卓球。その壁を打ち破る可能性があるのは男子のスウェーデン勢、ワルドナーとパーソンだった。その中国の壁は大会ごとに厚くなっていく。