「そんなものを隣に建てて患者の命を縮める気か!」と茨城の病院が大激怒…必要インフラなのに全国で嫌われる《火葬場》の「深刻な現実」
火葬場を見ると病気が悪くなる
内容としては「病院、学校などから100メートル以上の距離」と定めた県条例に違反しているというもの。 当時の報道に病院の理事長のコメントが載っていたので引用したい。 「病院としては最適な環境だったのに。日本中、どこに病院と隣り合わせの火葬場がありますか」 病院の隣に死を連想させる火葬場をつくられたくないというのは理解できる気もする。同様に守谷町側の住民も大反対の姿勢を見せ、結局病院と住民が連名で葬場建設決定の取り消しを求める2件の行政訴訟を起こした。 この訴訟において、原告である病院側の意見を見てみよう。病院の隣に火葬場を立てるのは、患者の人格権の侵害にあたる、という。 人格権というのが耳馴染のない言葉なのでよくわからないが、原告の主張をそのまま引用するとある程度わかるだろう。 「リハビリ用訓練道のある敷地の隣に火葬場ができることで、血圧上昇など患者の病状は悪化する。人間の尊厳にふさわしい医療環境で治療に専念できなくなり、生命または身体が脅かされ、人格権を侵害される」 ようは火葬場がそこにあるだけで病気が悪くなる、という主張のようだ。 だが、こうした意見に対し、被告の火葬場組合側は猛反論。 「原告の言う人格権の具体的な中身が明らかではなく、訴えの利益がない」 として、引き下がらないままだった。
軍配はどちらに上がった?
こうした意見の応酬のすえに結局「権利の侵害とはいえない」と、訴えは却下された。その後に平成元年(1989)7月、東京高裁にて、火葬場に目隠しとして小山を築くことなどを条件に住民側と和解が成立。 そして病院だけが孤軍奮闘していたが、翌年7月31日、水戸地裁による判決言い渡しをもって、いちおうの収束となった。 このとき裁判長の判決文では、 「原告の人格権は法的に保護されるべき基本的権利」と原告側に寄り添いつつも、 1、 患者の病状が悪化し、受忍限度を超えるとの主張は証拠が不十分。 2、 心理的不快感は認めるが、直接的な身体被害より保護の必要性は低い。 3、 進入路は病院反対側で、火葬炉も二重燃焼構造。築山や壁で病院からは見えない。 という理由から、 「火葬場設置の必要性、代替地がないことなどを考慮すると、原告が精神的、心理的に不快であるとしても、受忍すべき限度内にある」として、原告の請求を棄却した。 つまり、ほぼ全面的に火葬場の建設が認められたのだ。 病院側の、火葬場なんて見たくない! という感情は火葬場建設を止めるのに釣り合わないと判断されたのだろう。また、小山を築くという解決策ですでに住民側が納得していることも、この判決に影響したのかもしれない。 火葬場という施設は、建てるのにこれほどこじれてしまうくらい歓迎されない施設なのだろうか。 だが、都市において必要であることも事実。火葬場の数が足りなくなっている昨今だが、新しくつくる際にはなるべくスムーズに建設されることを祈っている。 ―――― 【さらに読む】「人身事故」で亡くなったご遺体の火葬…その棺に納められていた「衝撃の中身」《火葬場職員が明かす》
下駄 華緒(元火葬場・葬儀屋職員)