【昔の地図】静岡市役所の場所にあった庭園付き建築の正体は? 約100年前の地図を片手に歩いたら
◆お茶を運んだ路面電車 そんな御幸通りを、さらに北へ。この通り沿いに記されているのが線路のマークです。かつて路面電車が走っていました。「静岡市内線」は大正11年(1922年)から昭和37年(1962年)まで運行していた電車です。 駿府城のお堀のすぐ脇を通り、区間は現在のJR静岡駅と葵区・安西の全長わずか2kmでした。この電車、お茶の街・静岡にとって欠かせない存在だったそうです。 静岡市文化財課・熊谷すずみさん: 明治39年に清水港が外国との貿易ができる港として指定されました。お茶が集まる安西・茶町・北番町周辺と清水港とをつなぐ乗り物として引かれました その名残は、道路の配置に現れていました。中町にあるバス停は、道から突き出してバスの停留スペースがあります。なぜここだけ建物が奥まっていて、広々としたバス停なのか不思議でしたが、これがまさに電車の停留所の名残なのです。 しかし、他の交通の便が発達して徐々に使われなくなり、茶の輸出量も減ったことが路線の廃止につながってしまったそうです。 昔の地図は、意外な歴史を語り出す。約100年前の静岡市の地図は、お茶の輸出で活気づいていた頃の、静岡の風を感じさせてくれました。 (テレしずWasabee)
テレビ静岡