【日曜特番・観光復興へ】「今行ける能登」はどこ
能登半島地震の発生から8カ月を迎え、生活再建と同時に、能登の主要産業の一つである観光の復興が課題となっている。石川県が掲げるキーワードは「今行ける能登」だ。地震後、能登半島全体について「今は行けない」とのイメージが広がり、被害の比較的小さな地域でも観光客が減る現象が見られた。今、能登の観光地のどこは訪問可能で、どこは復活途上なのか。復活には何が必要か。多角的に探った。(能登半島地震取材班) ●「今こそ新しいアイデア必要」 羽咋・客足回復傾向 能登半島の入り口に位置する羽咋市の行楽地や観光施設は奥能登と比べ地震の被害が少なく、早い段階から観光客の受け入れを望む声が上がっていた。 「ありがたいことに今は地震前と遜色ないくらい参拝いただいている」。気多大社の三井孝秀宮司は安堵の表情を浮かべる。 元日の地震後も、参拝者を受け入れてきたが「能登半島全体で被害が大きい」とひとくくりに捉えられ、一時は訪れる人が少なかった。市観光協会長を務める三井宮司は「羽咋の観光業が駄目になったら、能登全体の観光が死んでしまう」とSNS(交流サイト)で現状を発信し、「羽咋は大丈夫」と訴え続けた。 観光促進を兼ねて打ち出した復興祈願の企画には計3千人が参加。戻って来た参拝者にようやく「今行ける能登」が浸透してきたことを実感する。 本物の宇宙船が人気を集める宇宙科学博物館コスモアイル羽咋も一時は来場者が例年の3分の1に減ったが、客足が戻ってきた。8月の個人客は前年の8割、団体客は6割ほどに回復し、9月からは予約も入り出した。 施設を運営する「プロジェクトドゥ」の中田昌宏副社長は、能登観光の拠点となる和倉温泉の旅館がわずかながらも営業していることや、能登応援のキャンペーンを組む旅行会社が増えたことが要因と指摘する。「まだ再開が厳しい奥能登の物産を羽咋で販売するなどして、能登全体の支援につなげたい」と話した。 市によると、千里浜や妙成寺など他の観光スポットにも受け入れに支障が出るほどの被害はなく、さらなる回復へ「観光OK」のムードをいかに高めるかが課題となっている。 「それを解決するのは、やっぱりアイデアだ。今こそ新しい企画、新たな能登観光のスタイルを羽咋から作らなければいけない」と三井宮司。立国1300年の能登の歴史を共通テーマに、製塩や遺跡を関連付けて巡る広域観光などを自身も考えている。 「1年たてば被災地への関心も薄まる。それを防ぐためにも観光は必要であり、実施するには今年の内に企画を決めないと間に合わない」と訴えた。(羽咋総局・高野淳) ●水族館、道の駅復活 七尾・旅館再開には時間 七尾市では、のとじま臨海公園水族館が7月20日から営業を一部再開し、震災前は年40万人が訪れた能登有数の行楽地に子どもの歓声が響いている。 展示数は震災前の400種2万2千匹から210種7500匹に減った。地震の犠牲になったジンベエザメや、市外に避難中のイルカは不在だが、マゼランペンギンは戻ってきた。9月3日にはゴマフアザラシ2頭も戻る。 「さまざまな応援を受けて再開できた。多くの人に見てほしい」と話すのは、イルカ・アシカの飼育を担当する釘宮ひなたさん(25)。震災前と比べ来館者は減っているが、被災地支援で訪れる観光客もおり、地震から奇跡的に生き延びたヒラマサなどを見るのも「ひそかな人気」という。 能登島で再開する民宿が増える一方、能登観光の拠点である和倉温泉は苦戦している。和倉の旅館協同組合21施設のうち一般客の受け入れを再開できたのは3旅館のみ。護岸が崩れ、七尾湾沿いに立つ旅館の再開はまだ時間がかかる。 ただ、総湯や土産店は営業しており、被災した店舗が集まる屋台村で夕食を食べる観光客もいる。60代女将は「能登に来てはだめというイメージを払しょくしていくしかない」と話す。 国史跡の七尾城跡は本丸跡近くまで行くことが可能。道の駅・能登食祭市場は9月から1階「能登生鮮市場」が通常営業に戻り、村本能久駅長は「活気を取り戻したい」と意気込む。 建物損壊が相次いだ一本杉通りでは、老舗の高澤ろうそく店や漆陶舗あらきが仮店舗で営業を再開。仮設商店街もオープンし、復興へと歩む。(七尾支社・安田佳史) ●定番観光地には人の姿 珠洲・人口減が足かせ 珠洲市内では、見附島や禄剛埼灯台など定番の観光地を訪れる人が徐々に増えてきた。一方で、外浦側は道路の寸断や水道復旧の遅れもあり、観光客受け入れは難しい状況が続く。 「市外に避難した人もいるため従業員数が震災前に戻らず、営業日を絞って時短営業している。売り上げは震災前の半分ぐらいの感覚だ」。道の駅すずなりの担当者が打ち明ける。 水道復旧に伴い、建物被害の少なかったホテルや民宿の中には、営業再開に踏み切る所も出始めたが、多くは復旧工事関係者や行政の応援職員による長期宿泊で貸し切られたり、水道設備の不調で料理提供が難しかったりと、地震のダメージが足かせとなっている。 奥能登のバスツアーは、輪島と珠洲を結ぶ国道249号が土砂崩れで寸断されたため、再開のめどが立っていない。道の駅すず塩田村の担当者は「水がまだ来ておらずトイレも使えない。循環式の仮設トイレはあるが、売店やロビーは開けられない」と嘆く。 塩田での塩作りは今年も着手したが、従業員が避難先から戻らず、生産量は伸びない。「全国から多くの注文をいただいているが、応えきれていない」。震災後の人口流出が地場産業復興の妨げにもなっている。 市内には、昨秋開催された奥能登国際芸術祭(北國新聞社特別協力)の屋外常設展示作品もあり、復興支援関係者の目を引いている。ただ、2026年の次期芸術祭については、市側は「今は考えられる状況にない」としている。(珠洲支局・安田哲朗) ●「頑張る姿見に来て」 輪島・宿泊施設が課題 日本海に面した棚田の一部だけに、黄金色に色付き始めた稲穂が映える。棚田の中央部には緑色の草が生い茂り、海に向かって降りていくと土色が見え、まだらな光景が広がる。 観光名所・輪島市白米(しろよね)町の国名勝「白米千枚田」は能登半島地震で大きな被害を受けた。1004枚ある田んぼのうち、今年作付けできたのは約120枚にとどまる。隣接する道の駅「千枚田ポケットパーク」は休業が続く。観光客は少しずつ増えてきたが、道の駅のトイレを利用するのは復旧工事関係者が多い。 「展望台から見ても、田んぼに入った亀裂などは分かりにくい。遊歩道に降りて、私たちの千枚田の修復作業を見てください。今しか見られない景色です」と白米千枚田愛耕(あいこう)会の白尾真紀子さん(40)が語る。 復興に向けて頑張って前に進む姿を見に来てもらいたい。そう願うのは朝市組合の冨水長毅(とみずながたけ)組合長(55)も同じだ。輪島市宅田町のショッピングセンター「パワーシティ輪島ワイプラザ」で続く出張朝市は9月に店舗スペースが拡充され、最大40店舗ほどが並ぶようになる。冨水組合長は「応援する意味を含めて、ワイプラザの朝市に足を運んでほしい」と呼び掛ける。 課題は宿の確保だ。市によると、営業している宿泊施設は地震前の4割にとどまり、復旧工事関係者の利用が多いため、観光客が泊まれる部屋は少ない。市の担当者は「地域経済のためには誘客を再開したいが、理想と現実のギャップがある」と頭を悩ませる。(輪島総局・中野尚吾)