活動休止で7kg増量…コロナ禍受け成長遂げた高校時代の中日・金丸夢斗 直球140キロ超え関大“最後の1枠”に
◇新時代の旗手2025~金丸夢斗(中) 兵庫・神港橘高3年だった2020年6月。野球部内に衝撃が走った。「え、何やこれ?」「ちょっと待ってや」「すごいことになってるやん」。3カ月前まで130キロ前後だった金丸の直球が、140キロを超えた。コロナ禍による活動休止期間で体重が7キロほど増量。「みんなびっくりしていました。自分でも『ああ、変わったな』と思いました」。忘れることのできない快感だった。 ◆金丸夢斗ら中日ルーキートリオ、緊張のラジオ生出演【写真複数】 ここまでの道のりは長かった。野球部の同期は27人。入部当時は2番目に背が低かった。「けがが多かった。くすぶっていましたね」。1年冬にはシンスプリントや腰椎分離症に悩まされた。2年夏の兵庫大会。当初は登録メンバーから外れていたが、投げられるようになるとB軍で大活躍。最後の最後に背番号16ですべり込んだ。2回戦の関西学院戦では救援で4イニング2/3を完ぺきに抑え、第1シード校に勝利。初めて取材され、左腕の存在が世に出た。 しかし、思い通りにはいかない。新チームになった2年秋の県大会は状態が上がらず早々と敗退。冬に金丸を見に来た大学があったが、「ご縁があれば…」と進路は決まらなかった。思った通りに投げられないもどかしさがありながらも食生活の意識を向上させ、体は確かに成長している。殻を破れないまま、コロナ禍で全体練習ができなくなった。 しかし、これが分岐点となる。午前中は自宅付近を走り、昼からトレーニング。他の部員とオンラインゲームで交流し、ひたすら寝た。「変に負荷をかけずに、すくすくと体が育った感じでした」。取り組みの成果は一目瞭然。ただ、現実は残酷だった。5月に甲子園大会の中止が決定。父・雄一さんとの夢は途絶えた。それでも、情熱は消えなかった。「父が僕に夢を与えてくれました。恩返ししたい」。大学を経てプロ野球選手になることを決めた。 神港橘高の安田監督(当時)は同校OBで関大のアドバイザリースタッフを務める元阪急の山口高志さんに連絡し、6月末に関大の練習会に参加した。夏の兵庫県独自大会はベスト8で打ち切りとなったが、神港橘は最後まで勝ち残った。金丸はラストゲームとなった5回戦・甲南戦を17奪三振の力投で高校野球を終えた。実力が認められ、無事に関大のスポーツ推薦の残り1枠を勝ち取った。 安田監督は振り返る。「コロナがなかったら、春も夏も負けていたと思う。がっつり練習して夜遅く帰っていたら、あれほど大きくなっていないでしょう」。奪われた青春をチャンスに変えた。ひたむきな努力家は、関大でさらなる成長を遂げる。
中日スポーツ