三上博史、高校1年生で映画デビューも「理想じゃない」と感じた理由「当時、エリート志向が強かったので」
オーディション会場に到着すると、眼前に驚きの世界が広がっていた
やがて書類選考を通過して、実際にオーディションに向かうことになる。 「オーディション会場は、青山3丁目に当時あったベルコモンズ。そこの6階か7階かな。フリースペースがあって、エレベーターが開くとそこにはバーンってかもめの絵があって。 そこにブルーと紫、赤のライトが当たって、周りは真っ暗なんです。お化け屋敷みたいな感じのその場所に入っていくと、今度はなんだか深海みたいに真っ暗な中に、白塗りの素っ裸の女の人……毛も剃ってましたね。その女性が踊ってるんですよ。それを他の女の子が真似てたり……。そういう不思議な世界が展開されてて、でも常にシーンとしていました。 “わー何だろう”としばらく見ていたら、後ろからカランカランと音がして。“なんだ、うるせえな”ってパッと睨んだら、体の大きな人がいて、“あれ? この人、テレビの競馬中継に出てたな……寺山修司かもしれない”と思って(笑)、慌ててすぐ顔を戻したのを覚えてます(笑)。 寺山さんは当時、ぽっくりサンダルというものを履いていて。足音がして、ピタッと僕の真後ろで止まったんです。“え?”と思ったら、トントンって肩を叩かれて。“君はオーディションに来たの?”って言うから、“はい”と名前と受付番号を答えると、“じゃあね”って言って行ってしまいました」
最終審査に残り、「変なおじさん」に会った
わずかな時間の、寺山さんとの初対面。そこから1~2週間ほどして「最終審査に残った」という電話がかかったという。 「“最終に残ったから、六本木のアマンドに来てくれ”と言われて学生服で行ったんですけど、寺山さんはいなくて。何か変なおじさんがいきなり“三上くんだね。高校1年だろ?喧嘩とかすんの?”、“どういう喧嘩すんの?殴るの?”とか質問してきたので、“喧嘩はしないっすかね”と答えたら、おじさんは“ああそうか、面白くねぇな”と言って。 そんな感じのやり取りがあって帰らされて、“なんだったんだろう”と思ってたんですけど、そこからしばらくしたら“通ったよ”と連絡がありました。後から知ったんですけど、その日アマンドで会った変なおじさんというのが、相米慎二さんでした。チーフ助監督だったんですけど、それからずっと現場で僕の面倒を見てくれました。そういう15歳の記憶です」 その後撮影に入り、俳優としての世界に飛び込むことになる。とはいえ高校生。寺山修司の描く非日常の世界と、ごく普通の学校生活を行き来することになり、戸惑いはなかったのだろうか。 「通っていたのが県立の進学校だったので、担任に呼ばれて“君は映画に出たらしいけど、うちの学校はそういうのダメだから。そういう子が行く学校、あるだろう”って言われて、子ども心に“こいつ、上から見てんな”ってすごく腹が立って(笑)。“僕、意地でも卒業しますから”って答えて、学校は続けながら、映画にも出るという形にしたんです。 ただ、映画の現場に入ったときは“何か違う”という感覚がありました。映画の撮影現場で、“このどうしようもない大人たちは何なんだろう”と思ったんです。きっと偉い人たちなんだろうけど、みんなで雨の中、箸で挿したらお米が全部ベロっとついてくるようなカチカチのお弁当を毎日食べて。雨の中で車座になって休んで、すぐ撮影して、みたいな日々。 当時、エリート志向が強かったので“これ、僕の理想じゃない”、“僕は夢のように稼いで、夢のような生活するのが理想だから、ここは僕のいるところじゃない”って思った。その“何か違う”を抱えて学校に戻って、そのまま進学するつもりでいました。普通の高校生として、部活したり勉強したり1年ぐらい…そうしたらまた、“ここも違う”って思ったんです。今俺は何を求めているんだろう、って考えたときに“映画の現場に帰りたい”と思いました」 「俺の理想じゃない」と思った映画の現場だったが、高校生活の中で、また映画の世界に戻りたい、という思いが沸き上がってきたという。 「それが何なのか考えてみると、撮影の現場って僕にとって『お祭り』だったんです。みんなで1本の映画を作ってみこしを担いでるような感覚。その『お祭り』に帰りたかった。そこからずっと……という感じですね」 部活の球拾いをしながら聞いた出演者募集の話から時を重ねて、今もなお、原動力のベースにあるのは、その「お祭り」に行きたいという思いなのかもしれない。作品に向けるまっすぐで丁寧な言葉からそれを感じさせられた。 みかみ・ひろし 東京都出身、神奈川県育ち。1979年、映画『草迷宮』でデビュー。87年の映画『私をスキーに連れてって』や88年のドラマ『君の瞳をタイホする!』(フジテレビ系)などトレンディードラマに出演。近年もドラマW『下町ロケット』、『震える牛』(ともにWOWOW)など主演作品は多数。03年に舞台『青ひげ公の城』に主演。04年には舞台『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』の日本初演で主演をつとめ、翌年にも再演が行われるほど好評を博した。 田部井徹
田部井徹