三上博史、高校1年生で映画デビューも「理想じゃない」と感じた理由「当時、エリート志向が強かったので」
オフ・ブロードウェイで1997年に上演された『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』。性別適合手術を受けたロックシンガー、ヘドウィグの愛と自由を渇望する人生を、数々の名曲とともに描いた名作。日本での初演は2004年。このときヘドウィグを演じたのが三上博史さん。20年の時を超え、三上さんのヘドウィグがライブバージョンとして再び帰ってくることになった。作品との出会い、時を経て『ヘドウィグ~』が三上さん自身に与えたもの。そして三上さん自身の原点ともいえる寺山修司さんとの出会い。それぞれ熱を込め、語ってくれた。【第4回/全4回】 ■【画像】渋い横顔!インタビュー中、真剣な面持ちの三上博史さん■ 表現者・三上博史さんにとって寺山修司さんとの出会いは、人生最大の「CHANGE」に他ならない。高校生のとき、新聞に載っていた寺山修司監督の映画『草迷宮』の出演者オーディションの告知を見て、応募。俳優としての扉が開かれるその瞬間の思い出を聞かせてください、と尋ねると、その記憶、その情景を克明に語ってくれた。 「まず思い浮かぶのは高校1年の夏の校庭です。校庭の隅にあるバレーボールのコートで、部活をしてるんです。1年なので、先輩たちがやってる練習の後ろで球拾いをしながら、同級生の友達がふいに“なんかさあ、寺山修司が男の子探してんだよ。映画なんだけど、その新聞持ってきたから後で渡すわ”って言いだしたんですよ。その情景はすごく覚えています。天気のいい日でした。 部活が終わった帰り道、その友達と歩いてたときにその新聞記事を見たら、“泉鏡花の原作で『草迷宮』というものを映画化する、脚本は寺山修司と岸田理生の共同脚本で、主人公の少年を募集している”と書いてあって。 書類を送ってほしい、ということだったので、まず写真を撮ることにしたんです。同じクラスに写真部の友達がいて、彼はいつも、学生服の黒いズボンを履いて、白いシャツを腕まくりして写真を撮っていた。その彼に、学校の裏庭で、何枚か撮ってもらいました。写真は次の日、プリントアウトして持ってきてくれたので、履歴書と一緒に送りました」