「インフルエンザ」にかかりやすい人とかかりにくい人、その違いは意外なところにあった
体質には遺伝と環境がからみあう
さて、この図1-1を見ていると、こんな疑問が浮かびませんか。 「生活習慣病は遺伝に加えて生活習慣が関係するっていうのはわかるけど、がんはよくわからない。それに感染症に遺伝なんてあるんだろうか。たまたま悪い細菌やウイルスが体に入ったってだけじゃないの?」 確かに、がんというと、遺伝をのぞけば何となく運が悪くて発症するイメージがあります。しかし、おそろしい病気とされるがんも、始めは1個の小さながん細胞に過ぎません。それが細胞分裂を繰り返しながら大きくなって、次第に病気としてのがんの症状があらわれます。ところが体の中にがん細胞が生まれても、全員ががんという病気を発症するわけではないのです。なぜでしょうか。 これは感染症も同様です。身近な例としてインフルエンザで考えてみましょう。冬になるとインフルエンザが流行しますね。ところが不思議なことに、毎年のようにインフルエンザになる人がいるかと思えば、生まれてから一度もかかったことがない人もいます。インフルエンザワクチンは有効ですし、うがいや手洗い、マスクの着用も重要です。しかし、これらの対策をしっかりおこなっても感染しやすい人がいるのです。結核やエイズ(HIV)も同じで、細菌やウイルスなどの病原体に接触しても、すべての人が感染するとは限りません。ここに関係するのが遺伝的素因です。 近年、病原体の感染しやすさにかかわる遺伝子が次々に見つかっています。たとえば2015年には、8番染色体に存在する、ある遺伝子に変異が起きると結核菌に感染しやすくなることが示されました。 ここで簡単に説明しておくと、8番染色体とは染色体につけられた番号で、遺伝子の住所のようなものです。個人の遺伝情報が記録されたDNAは細長い糸のような構造をしています。これが複雑に折りたたまれ、8番染色体を含む22組の常染色体と、1組の性染色体に分かれた状態で、全身にある37兆個の細胞一個一個に入っています。この研究から、8番染色体の、ある遺伝子に小さな突然変異が起きて遺伝情報が書き換えられると、結核菌に感染しやすくなるだけでなく、症状も起きやすいことがわかりました。遺伝子変異は遺伝子の一部にキズがつくことと考えてください。 このように、感染症の発症にも遺伝子変異を含む遺伝的素因が関係することが明らかになってきています。しかし、ここが肝心なのですが、この遺伝子に変異が起きたら全員が結核に感染するかというと、これまた、そうではないのです。あくまでも「発症する可能性が高くなる」だけです。これは感染症だけでなく、がんや生活習慣病でも見られる現象で、その理由はいくつかあります。 まず、たいていの病気には複数の遺伝子が関係しており、遺伝子変異が1ヵ所で起きただけで病気が発生するのはまれです。また、体には、がん化した細胞や、体に入り込んだ病原体を、殺したり、体の外に追い出したりする防衛機能があります。この機能にも遺伝的素因にもとづく個人差があるので、同じように危険にさらされても誰もが病気になるわけではありません。 そして、もう一つが遺伝子の発現の問題です。「遺伝子の発現」というのは、ちょっととっつきにくい表現ですが、ここでは、「遺伝子が実際に作用するかどうか」と考えてください。じつは、遺伝子に書き込まれた遺伝情報がどうであっても、その遺伝子が必ずしも作用するとは限らないことがわかっています。 例として一卵性双生児で考えてみましょう。一卵性双生児はまったく同じ遺伝子を持っているので、顔もそっくりなら、同じような病気になりやすいといわれています。しかし実際には、年齢を重ねるにつれて二人の見た目や、受ける印象がかなり違ってくることが珍しくありません。また実際に調査したところ、二人そろって同じ病気になる確率は意外なほど低かったのです。 なぜこんなことが起きるかと言うと、遺伝子にはスイッチがあって、生活習慣を含む多くの環境要因がスイッチを入れたり切ったりすることで遺伝子の作用を調整しているからです。この仕組みを「エピジェネティクス」と呼び、病気の発症にも大きな影響をおよぼします。病気と関連する遺伝的素因を両親から受け継いでいても、成長してから遺伝子にキズがついても、何らかの環境要因が遺伝子の作用にブレーキをかけてくれれば病気になることはないのです。 図1-2に、遺伝子に起きる変化を絵で示しました。 先に書いたように、一人一人の遺伝情報はDNAという物質に記録されています。DNAは細長い糸のような構造で、そこに、その人を特徴づけるさまざまな情報が並んでいます。ここでは、遺伝子をロボットであらわしました。かつては、親から受け継いだ遺伝子は、一生変わることなく体内で作用し続けると考えられていました。しかし、生まれもった遺伝子に変異が起きて、その作用が変わり、病気になりやすい遺伝子ができてしまうことがあります(図上:黒いロボット)。 その一方で、環境要因の影響を受けて遺伝子の作用が強まったり弱まったりするのがエピジェネティクスという現象です。遺伝子変異によって病気になりやすい遺伝子ができても、その遺伝子のスイッチがオンにならない限り、病気になることはありません(図中:黒いロボット)。また、遺伝子に不都合なオン、オフが起きたとしても、遺伝子そのものが変わってしまったわけではないので、遺伝子に影響を与える環境要因を変えることで、オン、オフを元に戻し、病気を予防ないし治療できる可能性があります(図下)。 遺伝子変異も、エピジェネティクスによる遺伝子のオン、オフも、一生続いたり、そのまま子孫に伝わったりすることがあります。大切なことは繰り返し説明しますので、ここでは、こんなことが起きるということだけ理解しておいてください。 さらに連載記事<「胃がん」や「大腸がん」を追い抜き、いま「日本人」のあいだで発生率が急上昇している「がんの種類」>では、日本人とがんの関係について、詳しく解説しています。
奥田 昌子(医学博士)