『ゴールデンカムイ』山﨑賢人の“原作通りではない肉体”はなぜリアル? 武道家が解説
「“不死身の杉元”役は山﨑賢人に決定!」との報を受けた時、「また山﨑賢人……?」と思った人は、怒らないから手を挙げなさい。 【写真】銃剣を持って大ジャンプをする杉元(山﨑賢人) 怖がらなくても大丈夫。筆者もそう思ったから。 「人気漫画の実写化と言えば山﨑賢人」というイメージが定着して久しい。事実「実写化職人」として、実績を重ねてきた。それでもなお、今作『ゴールデンカムイ』の主人公・杉元佐一役に、山﨑賢人はそぐわない。そう思っていた。 山﨑賢人がハマるのは、「まだ未熟で未完成な主人公」だ。最底辺の身分から武人として成り上がる過程を演じた『キングダム』シリーズの信も、まだ空条承太郎(伊勢谷友介)に貫録負けして見える物語序盤を描いた『ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない 第一章』の東方仗助も、その系譜に当てはまる。 一方、今作の主人公・杉元佐一は、物語が始まった時から、すでに「完成している」。最初から、“不死身の杉元”なのだ。 杉元は、人殺しだ。日露戦争で数え切れないロシア人を殺してきた。復員後も一見好青年だが、必要とあらば一切の躊躇なく人を殺す。 そんな、人殺しとしての業、狂気、凄み、そして悲しみを一身に背負った存在。それが杉元佐一だ。「未熟で未完成な主人公」のイメージが強い山﨑賢人に、そんな難役をこなすことができるのか。ちょっとでもイメージと違ったら、辛口のレビューを書くこともやぶさかではない。 最初から色眼鏡をかけた状態で、本編を観た。 まず筆者は、山﨑賢人に土下座をしなければいけない。 そこにいたのは、原作やアニメを観て想像していた通りの、いや、想像していた以上の完璧な杉元佐一だった。 物語は、日露戦争におけるもっとも過酷な戦場と言われる二〇三高地での戦いから始まる。 銃弾の雨の中を突撃する際の狂ったような咆哮も、キメ台詞とも言える「俺は不死身の杉元だああああ!!!」の絶叫も、もはや演技とも思えない完全な極限状態を体現していた。 完璧・杉元としての説得性は、その後のロシア兵との白兵戦でも十二分に発揮されている。 塹壕の壁を使った、三角跳びからの攻撃。三角跳びとは、一旦相手と反対方向の壁に向かって跳び、その壁を蹴った勢いで相手を強襲する技だ。筆者が初めて三角跳びを認識したのは、往年の名作格闘技漫画『空手バカ一代』においてである。その時は、とても実戦では使えない漫画的な荒唐無稽な必殺技だと思っていた。 いや、三角跳び使える……! 左右を壁に挟まれた狭い塹壕というシチュエーションなら、壁を蹴ったらすぐに相手に到達する。攻撃方法も、跳び蹴りのような殺傷力の薄い技ではなく、銃剣による串刺しである。 そしてもっとも注目すべき点は、そのような荒唐無稽な必殺技を、説得力をもって現実化した山﨑賢人の身体能力だ。アクションの練習はもちろんだが、武道の稽古も相当積んでいると思われる。と言うのも一瞬映った左耳が、少し「潰れかけて」いるように見えたからだ(気のせいだったら申し訳ない)。柔道などの取っ組み合う武道や格闘技の稽古をやり込むと、相手の道着や畳にこすれ続けた耳が、潰れて餃子のようになる(注:体質による)。 原作の杉元は、“不敗の柔道王”牛山に「こんなに強い奴ははじめてだぜ」と言わせるぐらいの、柔道強者でもある。 今作でも、杉元が親友・寅次(泉澤祐希)を一本背負いで投げるシーンがある。まるでお手本のように美しい投げだ。山﨑賢人が、いかに真摯に柔道を稽古したかがわかる。 だがそもそも「美しい投げ」とは、競技柔道において一本勝ちするための投げ方である。背中から落とす安全な投げ方だ。頭から落とすのは反則である。危険だからだ。 競技において反則となる技は、実戦においては限りなく有効な技である。それだけ殺傷力が高いからだ。親友には使えない。だが、“敵”に対してならどうか。 杉元の、第七師団・尾形百之助(眞栄田郷敦)への投げが、エグくて凄まじい。立ち関節で腕を折り、そのまま顔から投げ落とす。雪面だったからともかく、これが硬い地面なら致命傷だ。完全に殺す気である。 この“躊躇なく人を殺せる”杉元と、何度か回想で出てくる昔の杉元が、同一人物には思えない。幼なじみの梅ちゃん(高畑充希)に気づいてもらえないのも、よくわかる。あの善良そうな青年を人殺しに変えてしまう戦争というものの恐ろしさを、嫌でも痛感させられる。 そして、“2人の杉元”を完璧に演じ分けた山﨑賢人という俳優にも、恐怖に近い感動を覚える。 そして、“原作からそのまま実体化したようなキャラ”は、杉元佐一だけではない。 「このキャラはイメージと違うなぁ……」と思う人物は、ひとりもいなかった。 舘ひろしは、土方歳三を演じるために、こんなにカッコ良く年を重ねたのではないか。こんなにカッコいい土方に「いくつになっても男子は、刀を振り回すのが好きだろう?」と言われたら、「おっしゃる通りです!」と即答せざるを得ない。事実、好きだし。 牛山辰馬を演じた勝矢は、役作りのために「20㎏減量した」らしい。最初観た時は誤植かと思った。あの巨漢の牛山を演じるために、「増量した」のではなく、「減量した」のである。物語には関係ないが、普段どれだけデカいんだと、意味もなくワクワクした。 筆者がもっとも好きなキャラである尾形百之助は、眞栄田郷敦が演じた。動きはもちろん、そもそも顔が完全に尾形である。尾形を演じるために生まれてきたとしか思えない。父・千葉真一にも、感謝したい。今作ではまだ顔見せ段階だが、2作目からは大活躍するはずだ。 アシリパ(山田杏奈)や白石由竹(矢本悠馬)は、言わずもがなだ。 ここまで、いかにキャラ造形が原作に忠実かを述べてきた。だが、今作を本当に名作にした要因のひとつとして、あえて“原作通りにしなかった部分のさじ加減”がある。 「この部分は、忠実に再現したらマンガチックになり過ぎてしまう」という点は、あえて再現していない。 公式パンフレットにも書かれているが、白石の銀髪や月島基(工藤阿須加)の低すぎる鼻まで再現すると、コスプレ感が出てしまう。だから、白石は黒髪、月島はナチュラルな鼻のままにしたようだ。だが、少しぐらい原作とビジュアルが異なろうと、矢本悠馬は完全に白石であり、工藤阿須加は完全に月島であった。改めて、俳優としての彼らに敬意を表する。 そして、筆者が感じたもっとも“原作通りにしなくて良かった”点は、「杉元佐一の肉体」である。 原作の大きな特徴として、「男性キャラがだいたいマッチョ」という点がある。だからこそ、「杉元役は山﨑賢人」と発表された際、「杉元はあんなに細くない」という声が上がったのである。筆者もそう思った。 だが冷静に考えてみると、原作で描かれている筋肉は、「専門的なウエイトトレーニングを相当やり込んだような」筋肉である。“日本ウエイトトレーニングの開祖”と呼ばれる若木竹丸が、「怪力法並に肉体改造体力増進法」を出版したのは1938年、昭和に入ってからだ。明治時代の軍人ももちろん体は鍛えているだろうが、あそこまでの肉体を保持していたとは考えにくい。あの肉体も、白石の銀髪や月島の低すぎる鼻と同じように、“漫画的な表現”なのだ。原作に忠実に再現した方が、リアリティがなくなる。 とは言いながらもあまりにもモヤシだったら、それはそれで杉元ではない。「体重を10㎏増やした」と語っていた山﨑賢人の肉体は、ちゃんと杉元しているだろうか。 杉元が温泉に入るシーンがある。そこで見せた山﨑賢人の肉体は、「明治時代の軍人」と聞いてイメージする通りの体だった。 ちゃんと筋肉は付いているが、過剰にマッチョではない。自重の筋トレと武道の鍛錬と実戦で付いたような、自然な筋肉だった。全身のキズも相まって、凄みのある体だった。 映画で描かれたのはコミックスで言うと3巻あたりまでであり、物語はまだ序盤だ(原作は全31巻)。言わば今作は“大いなるプロローグ”であり、物語が大きくうねり出すのは次作からだと思われる。 次作がある前提で書いているが、これで次作がなかったら、筆者一推しの尾形は「杉元にやられて川に落ちただけの人」になってしまう。 そして、この作品名物の“変態脱獄囚”たちの活躍も期待大だ。あの変態やこの変態が現実のものとして、ここに書くのも憚られるような変態犯罪を繰り広げていくのだ。ワクワクが止まらない。とりあえず、“変態快楽殺人鬼”の辺見和雄は、萩原聖人が演じることがわかっている。なにその絶妙なキャスティング。 今はただ、毎日次作の発表を待っている。完結編を観るまでは、死ねない。 ※アシリパの「リ」は小文字が正式表記。
ハシマトシヒロ