尾崎豊に浜省、中島みゆき…ストレートな切なさが沁みる「昭和の名曲」人気調査【ポップス編】
上白石萌音、エレカシの宮本浩次、JUJU、優里、Adoがカヴァーアルバムを出したり、橋本愛がTHE FIRST TAKEで『木綿のハンカチーフ』を歌ったりと、「昭和の名曲」が令和のいま話題を集めている。 【写真】貴重な尾崎豊のプライベート写真。妻・貴重なさんや息子・裕哉さんとの日々 「古くさくて無理って曲もあるけど、意外と新しさを感じるものも多い。松原みきの『真夜中のドア~stay with me』は、70年代の曲だって全然思えなかった。シティーポップっていわれるジャンルは特に、おしゃれだなって思う」(20歳 女性) 「韓国のDJ Night Tempoから入ったけど、ノリがいい曲だけじゃなくて、歌詞がよくて、刺さることが多い。親に昔のCDとか見せてもらったらヤバいぐらいいい曲いっぱいあって驚いた」(19歳 女性) 「家族でカラオケ行ったときに、父親が昔のバラード歌って、スゲーおやじ! って思った。今時の曲と違って、スローテンポでかっこいい曲が多い」(18歳 男性) と若い世代は令和だろうが、昭和だろうが、「いい曲はいい」という視点を持っているようだ。 今回、昭和を経験した世代(40代以上)に『10代、20代に知ってほしい「昭和の曲」』をあげてもらい、アンケート調査することに。時代は昭和の中でも、70~80年代に厳限定。セレクト基準としては、そのアーティストの熱狂的なファンだったはなしにして、昔よく聴いた、歌ってよかった、昔の想い出とリンクしている、といった視点で、できるだけ超メジャー級なものは避けて「私の名曲」を選んでいただいた。もちろん、個人的な視点なので、「それは違う」の意見もあるかもしれないが、それは「昭和には名曲が多い」ということで許していただきたい。 前編では、女性男性アイドルの隠れた名曲をあげたが、後編ではフォークや当時ニューミュージックと呼ばれたジャンルの曲をアンケートからリストアップする。
聴くほどに沁みる曲が多い、弾き語り編
70年代、80年代はフォークが全盛な時代でもあった。親世代や祖父母世代はフォークが青春歌だったという人も多い。吉田拓郎など、40代以降には王道中の王道だが、10~20代では知らない人も多い。なにせ、70年代からは半世紀近く時間が過ぎているのだ。その点を理解してアンケートを読み進めていただければと思う。 ---------- ◆吉田拓郎『どうしてこんなに悲しいんだろう』(1971年) 推薦コメント:当時父がよく聴いていて、なんとなく聴いて覚えてしまっていた。80年代になって華やかな曲を聴くようになってあまり聴かなくなってしまったけど、ちょっと前にサブスクで見つけて、聴いて泣いた。あれから40年近く経ってやっとこの曲の切なさや温かさがわかった気がした 改めてじっくり沁みる曲だ(61歳 男性) ---------- 父親や兄が聴いていてハマったという男性は少なくない。他に『落陽』『人生を語らず』なども上がった。 ---------- ◆浜田省吾『もうひとつの土曜日』(1985年リリース) 推薦コメント:自分にとってラブソングといえば、この曲。みんながバブルで楽しそうなときに、自分はなんだか冴えなくて、恋も就職もうまくいかなくて、ちょっと腐っていたときに聴いたり、カラオケで歌ったりしていた。今でも歌うとあのときの気持ちが蘇って切なくなってしまう(60歳 男性) ---------- 80年代のカラオケで歌がうまい男子が必ず歌ったのが、浜省だった。浜省をうまく歌えるというだけでモテた男子もいた。他に『悲しみは雪のように』を上げる人も。 ---------- ◆永井龍雲『道標ない旅』(1979年リリース) 推薦コメント:当時、山口百恵さんと三浦友和さんのふたりのグリコポッキーのテーマソングで、CMも爽やかだったけど、曲も壮大で爽やかで大好きでした。キーが意外と高いので、カラオケでも歌うと、「誰の曲?」と必ず聴かれます(59歳 女性) ----------