“K-POPノウハウ”の輸出は成功するのか? JYP、HYBEら欧米圏におけるローカライズ戦略の勝機と課題
韓国の芸能事務所SM ENTERTAINMENTとKakaoエンターテインメントの北米統合法人、そしてイギリスのエンターテインメント企業であるMOON&BACKが共同し、イギリスでボーイズグループ DEAR ALICEを結成させた。その成長過程を見せる6部構成のテレビシリーズ『Made in Korea: The K-Pop Experience』が、今夏イギリスの公営放送傘下のBBC OneとBBC iPlayerを通じて放映される。 【画像】キュートなポーズが可愛すぎる&TEAM EJ MOON&BACKはロンドンに本社があるエンターテインメントおよびテレビ番組制作会社で、One Directionを誕生させた『THE X FACTOR』や『Britain's Got Talent』(ともにITV)などの人気オーディション番組を制作したナイジェル・ホール、英ジェームズグラントメディアグループのラス・リンゼイ、放送コンテンツ分野の専門家でYahoo!の前首席副社長とGetty ImagesのCEOを歴任したドーン・エアリーの3人が共同で設立した会社。今回のボーイズグループプロジェクトは、ヨーロッパやアメリカ市場の攻略を目指して結成されたという。5人のメンバーはMOON&BACKがイギリスでキャスティングし、SM ENTERTAINMENTは音楽、ダンス、ボーカルなど、K-POPのノウハウを提供するという形だ。今回のテレビシリーズには、DEAR ALICEのメンバーが100日間ソウルに滞在しながら習得したK-POP式のトレーニング過程と、ミュージシャンとして成長していく姿が収められる。SM ENTERTAINMENTでキャスティング、トレーニングなどを担当している部門であるアーティスト・ディベロップメント・センターはもちろん、世界最高の振付師や作曲家がトレーニングに参加したとのことだ。 近年の韓国大手芸能事務所は、韓国で結成したK-POPアイドルを海外で活動させるという段階を越え、それぞれの会社がノウハウを活かして海外の土地でグループを結成するという、制作方式をIP化した「制作/ビジネススタイルの輸出」と言うべき段階に入っている。これらのビジネスの源流は、90年代まで遡ることができるだろう。90年代末にSM ENTERTAINMENTの創設者であるイ・スマンは、現代では「K-POP」と呼ばれている韓国の大衆音楽アーティストの海外輸出を目指して「Culture Technology理論(CT理論)」という現地化戦略を宣言した。当時発表されたCT理論とは、以下の3段階に分けられる。 第一段階:韓国の事務所が直接作って輸出する 第二段階:海外の現地企業との協力を通じて市場拡大を図る 第三段階:現地企業と合弁会社を立ち上げ、韓国のCT(文化技術)を伝授する 2000年代に主に韓国の大衆音楽、実際は「アイドルミュージック全般」が「K-POP」と呼ばれることが定着して以降、K-POPのビジネスとその人気はほぼこの段階通りに発展してきた。2000年代前半までのK-POPアーティストは第一段階のとおり「外タレ」として主に日本や中華圏、タイなどのアジア圏に進出しており、当時韓国内でも人気を博してたH.O.T.などは中国でもある程度の規模のファンダムを形成していた。 日本でも知られているBoAは2000年に13歳で韓国デビュー。練習生の頃から海外進出を目標にすでに日本語や英語がトレーニングに組み込まれていたという。BoAは2001年に日本デビューしたが、当時は「K-POP」という言葉は一般的ではなかったため、邦楽アーティストとの明確な線引きはなく、日本語で歌う「J-POP」として活動していた。BoAのようにavexをはじめ、ユニバーサル ミュージック ジャパンやソニー・ミュージックといった日本のレコード会社と協業する「日本デビュー」という概念が生まれた時期から「海外の現地企業との協力を通じて市場拡大を図る」という第二段階が始まったと言えるだろう。この段階には活動先の国である程度の規模の音楽産業が成り立っている必要があるため、韓国と物理的/文化的に近く、今や世界第2位の音楽市場規模を持つ日本には特にフィットするビジネススタイルだったと考えられる。この手法は一時期中国本土向けにも試みられ、過去中国デビューしたり中国国内での活動に特化したユニットを作る事務所は複数あった。BTSも2014年ごろには中国進出を目標に中国でFCを作ったり中国語版の楽曲をリリースした時期があるが、2016年以降から今も続く限韓令など政治が文化に干渉しやすい状況や、商慣習の難しさなどのハードルによって、現在はその動き自体が中断状態のようだ。 この“第二段階”は2000年代から現在まで継続して続いている手法であり、この適用範囲が欧米圏まで一気に広がることになったのは、2017年の『Billboard Music Awards』にて、SNS上でのファン投票で決まるTop Social Artist部門(現在は部門廃止)にBTSがノミネートし、アメリカ国内におけるK-POPカルチャーの定着とK-POPファンダムがある程度の規模に達したことが目視されて以降と言えるだろう。K-POPのアメリカ市場進出への大きな突破口となったBTSも、デビューしてすぐにアメリカ国内でショーケースを行い、毎年ライブや『KCON』への出演など“第一段階”としての活動を継続的かつ地道にこなした。その結果が、アメリカの現地企業(レコード会社)と協業し、“第二段階”として作り上げた全編英語楽曲「Dynamite」「Butter」の全米チャート「Billboard HOT 100」での1位獲得へと繋がっている。現在はデビューしてすぐにアメリカのレコード会社と契約を結ぶK-POPアーティストも珍しくなく、アメリカでもすでに“第二段階”の活動は定着していると言えるだろう。中には韓国内よりもアメリカを含む欧米圏でのファンダム規模の方が大きいと言えるようなグループも出てきている。