【現地ルポ】医療スタッフは徹夜で対応も… 能登半島地震 「身体が持ちません」被災者の生々しい肉声
「地震が起きてから、医療スタッフは徹夜で対応しています。家にも帰れず、患者の対応や対策会議に追われているんです。金沢や遠方から派遣された医師も対応にあたっていますが、正直身体が持ちませんよ……」 【かつての観光名所が...】能登半島大地震 大雪が舞う被災地の焼け跡写真 被災者を受け入れている珠洲市総合病院の事務スタッフが、疲れ切った表情でそう漏らした。1月1日に発生した『令和6年能登半島地震』によって、正月ムードの街は一変。11日時点で213人が死亡し、37人が安否不明となっている。最大震度7を観測した揺れによって、輪島市や珠洲市では道路が寸断され家屋は倒壊。本誌記者が金沢から珠洲市を目指すまでの道中では大渋滞が発生し、珠洲市に到着した頃にはもう日が暮れていた。 1月5日、珠洲市に到着した本誌記者は、怪我を負った被災者を受け入れている珠洲市総合病院を訪れた。取材に応じてくれた事務スタッフはこう続ける。 「この病院に運ばれてくる人には、家屋の倒壊によって骨折や切り傷を負った人が多いですね。それから、避難所で体調を崩した患者もいます。珠洲市は高齢者が多いから、長丁場の避難所生活は身体への負担が大きいんです」 地震発生から1週間が経過した今、被災者を襲うのは揺れによる一次的な被害だけではない。昼でも雪が舞う寒さのなかでの避難所生活は、被災者の体力を確実に奪っていく。 仮設トイレは設置されているものの、水が通っておらず流すことができないため、耐えがたい臭いが充満していた。その状況に追い打ちをかけるように、被災した家屋を狙った空き巣や物資の盗難などの被害も報告されており、行政も注意喚起をしている。 本誌記者は、輪島市の避難所となっている『輪島市ふれあい健康センター』も訪れた。避難所では感染症を警戒してか、「窓を開けて空気の入れ替えをしましょう」というアナウンスが流れている。しかし、免疫力が低下した被災者のなかには罹患してしまう人もいる。避難所にいた輪瀬浩喜さん(48)が取材に応じてくれた。 「私はちょうど輪島市の実家に帰省していて、そのタイミングで被災しました。ここには母親と一緒に避難しています。避難してきた人たちは大きな部屋や廊下を使って寝ているのですが、74歳の母親が5日の夜に発熱してしまって……。 6日朝に病院へ行ったら、コロナだと診断されました。今、母親は隔離されながら避難所生活を送っています。熱を出した時は38度くらいだったかな。今は37度ほどに下がりました。地震なんて避けられるものではないし、仕方ないと思うしかないです」 1月6日、『輪島市ふれあい健康センター』では朝はパンが一つ、昼にはゆで卵が一つ、夜にはおにぎりが一つと春雨スープが配給された。とても十分な食事とはいえないが、スタッフによると「避難者の数と物資の量が足りていないと、不公平になるため配給しづらい」という。そんななかでも、前向きに過ごす被災者も存在した。同避難所に身を寄せる平野崇さん(56)が語る。 「地震の日はちょうど初詣をして、山あいにある妻の実家に行っていました。最初は大した揺れじゃなかったんですけど、本震というか、とても大きな揺れが長く続いたんです。窓の外を見ると、目の前で土砂崩れが起きていました。その後、山道を歩いて避難所にたどり着きました。 避難所は、私としては快適に感じます。腹いっぱいにはなりませんが、食べ物も飲み物もあるし、スタッフの方は頑張ってくれています。今後のことはまだ考えられませんが、一歩ずつでも進んでいければと思います」 地震発生から11日。余震が続く能登地方で、被災者たちは先の見えない避難所生活を送り続けている。
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