「もっと弱いところをシェアしていい」水原希子が大切な人から学んだ“幸せの築き方”
臨床心理士を演じてみてわかったこと
──映画の中では、死を前にした患者が自らのクローンを犠牲にして延命を図ります。もし水原さんが死を前にしたら同じ選択肢をとると思いますか。 死によって愛する人たちと別れることになる。それを避けられるのであれば、心はやっぱり揺らぐと思います。でも、自分がその選択をすることで、誰かが命を落とすことになるんですよね。誰かを犠牲にしたという事実を背負って、その後の人生を生きなければいけないと思うと、やっぱり辛い。だから、道徳的には嫌だなと思います。 でも、それは今の自分だから言えること。もし本当にこうした技術が普及して、誰もが当たり前のように「それ」を使っていたら、私の頭もバグって、当たり前のようにその選択をするかもしれない。そういう怖さや危うさを持っているのが人間ですから。そこでちゃんと考える力を自分が持っていられるかはわからないですね。 ──むしろ水原さんの話を聞いて、自分のクローンをちゃんと命として認識できていることに驚きました。 難しいですね。でも命は命じゃないですか。クローンだとしても、ちゃんと生きていると私は思いたいです。 ──本作で水原さんは、主人公・新次(井浦新)をサポートする臨床心理士のまほろを演じています。自分はこの作品の中でどういう佇まいでいたらいいんだろうと考えましたか。 まず私なりに臨床心理士という職業について調べました。臨床心理士って、どのくらいの距離感で患者さんと接するべきかが難しい、すごく繊細な職業なんです。ちゃんと相手の状態を見るためには心を開いてもらわなくてはいけなくて。そのためにこちらも歩み寄るけど、感情移入してはダメ。でもだからといって相手が実験対象にしか見えなくなるのも怖い、本当に複雑な職業で。 聞いた話によると、大きい病院ではこういう調査をしてくださいという指示のもと、患者さんを受け持つこともあるらしくて。そうなると、本当に相手のことがマウスみたいになっちゃう。まほろを知るということは、まず臨床心理士という職業の大変さも知ることでもありました。 しかも、まほろの場合、新次は病院の跡取り息子。自分よりずっと立場が上です。だから、患者なんだけど、どこか新次にコントロールされているところがある。そんな新次が自分の「それ」に会いたいと言い出し、まほろは逆らえず、要求に従う。そして、どんどん変わっていく新次に巻き込まれるようにまほろ自身も変わっていく。正直、演じながらなかなか自分では手応えを感じられないくらい難しい役でした。 ──観ていて、まほろ自身も「それ」に対する正しさに揺らいでいるんだなと感じました。 揺らいでいるんだと思います。ただ、新次とまほろの違いは、まほろはあの病院から出ていくことができないんです。ずっと親の敷いたレールを生きてきた新次は、自分の「それ」と出会い、「それ」がいきいきと生きている姿を見て、感化されていく。だから、新次が最後にとった選択は、ある意味やっと自分の意思で手に入れた自由だと言えます。でも、まほろはその選択すらとれない。すごくキツいですよね。 ──「自分の弱さを認めるのが一番嫌なんだ」と新次は言っていました。水原さんは、自分の弱さを認められるタイプですか。 大人になって認められるようになってきましたね。今までは自分の弱い部分と向き合うのが怖かった。そのせいで、自分が大丈夫だと思っている部分と、自分がダメだと恐れている部分で、自分自身が分離しているような感覚がちょっとありました。 でも、大人になることで、自分が何を怖がっているのか、ちょっとずつ目を向けられるようになった。そして、どうすれば自分が蓋をし続けている弱い部分を解決できるのか、考えられるようにもなってきた。一言で言うと、自分と会話できるようになったんだと思います。おかげで、人に弱音を吐けるようになりました。