【千葉魂】鈴木、思い出の地で快投 プロに憧れた東京ドーム 千葉ロッテ(第422回)
そこは少年時代に憧れのマウンドだった。鈴木昭汰投手は6月6日、東京ドームのマウンドに上がった。ジャイアンツ相手に1回を無失点。これで22試合に登板して防御率0・00(自責点0。失点は1)とした。 子供の時、父親の運転する車で茨城から何度も東京ドームに観戦に訪れた。2009年、ジャイアンツ対ファイターズの日本シリーズを見に行ったこともある。当時、小学生だった。九回、亀井善行(現1軍外野守備兼走塁コーチ)が同点ソロを放ち、その後、阿部慎之助(現監督)がサヨナラ本塁打を放った。童心ながら二つの劇的アーチは今でも鮮烈に脳裏に残る。 人生とは不思議なものだ。その二人は今、敵チームのベンチにいた。そして対戦相手の投手としてあの時の小学生はマウンドに上がった。家族と一緒に野球観戦を楽しんだ思い出の未来は、まさかまさかの同じフィールドへとつながっていた。 「子供の時、入場ゲートをくぐって、グラウンドが見える瞬間のドキドキが大好きでした。走っていきたくなるような感覚。今はそのマウンドに自分が立っていて多くの人がスタンドから見てくれている。東京ドームは自分にとって大事な原点を思い出させてくれる場所です」と鈴木はしみじみと振り返った。 先頭打者を見逃し三振。続く打者はこの試合でホームランを打つなど当たっている大城卓三捕手だったが、空振り三振。3アウト目は三ゴロに抑えた。 もう一つ、東京ドームに思い出がある。中学3年生の時。全日本中学野球選手権大会ジャイアンツカップに出場。決勝まで行けば東京ドームで試合ができたが無念の準決勝敗退。決勝はスタンドから観戦することになった。試合後、グラウンドで閉会式が行われ、そこで初めてグラウンドに降りた。当時、ジャイアンツ監督だった原辰徳氏と集合写真を撮った際、隣にいたこともあり、撮影後、握手を求められ「何年か後にプロ野球の世界で会おう」と声をかけられた。忘れられない言葉だ。 鈴木は20年ドラフト1位でマリーンズに入団。今や試合の重要な場面を任せられる貴重なサウスポーとしてマリーンズの快進撃の立役者となっている。東京ドームでは昨年のライオンズ戦、今年はオープン戦で投げたことはあってもジャイアンツとの交流戦では初めて。その舞台で150キロを超えるスピードボールとスライダーを中心とした変化球で4万人の大観衆に存在感を見せつけ、あっと言わせた。 「特別な思い出がある場所で結果を出せてよかったです。小さい頃にここで野球を見てプロに憧れた。そして今、こうやって投げることができた。子供の時に感じたワクワク感というか初心を忘れずにこれからも頑張って投げたいと思います」と鈴木。少年時代、目を輝かせて見つめた華やかな光と声援を浴びるマウンドにいることの幸せをこれからも忘れない。背番号「47」がスタンドから見つめるファンにかけがえのない思い出を提供していく。 (千葉ロッテマリーンズ広報・梶原紀章)