「ルート66」の旅路で知った「311」の悲劇! 途方に暮れる日々をモーテルの人々が支えてくれました【ルート66旅_42】
モーテルや街の人々みんなが親切にしてくれた
滞在して情報を集めつつ身の振りかたを考えようと、朝イチでオフィスに行き延泊させてほしいと伝えた。するとオーナーのリサは「分かってる。どうするか決めるまで泊まりなさい。宿泊代も食事代も不要だ」と。 ありがたい言葉だけど昨日の夕方に会ったばかりの方で、職種は違えど同じ自営業だけにお金を稼ぐ苦労も分かる。お金は払わせて下さいと話したところ、リサは「日本に帰ってから家族や友達など、困っている人のために使いなさい」と言う。必ず別の機会にお礼をしに来ようと心に誓いながら、1週間ほど気持ちの面でも支えになってもらった。 セリグマンの人々やモーテルの住人(アパートのような月単位の契約)にも何かと気を配ってもらい、気分転換に街を散歩すればコーヒーをご馳走になったりお土産をもらったり。なかでも印象に残っているのはベトナム戦争からイラク戦争まで従軍し、落ち着く先が決まるまでリサのモーテルで暮らしている通称「少佐殿」だ。 レストランで食事をしていたところ「こんにちは」と日本語で話しかけられ、聞けば母親が日本人だったおかげで会話には不自由しないレベルとか。最初はどんな手段を取ってでも帰らなきゃと考えていた自分に対し、彼は 「今は自衛隊やアメリカ軍といったプロの力が必要なとき。キミが帰っても支援しなきゃいけない人が増えるだけだから、状況を見極めて自分が役立てる時期が来たら帰るべきだ」 とアドバイスしてくれた。結論としてはそのとおりで、成田空港から仙台までの高速バスが復活したタイミングで、家族や友人から聞いた不足している物資をスーツケースふたつに詰め込んで帰国した。 * * * なお翌年は同じ3月11日(現地は10日)にお土産をたっぷり持ってリサを訪ね、コロナ禍でアメリカに入国できなくなるまで毎年セリグマンに1週間ほど滞在し、セミリタイアしたりリサが宮城県へ遊びに来てくれるなど交流を続けている。彼女から受けた見返りを期待しない数々の親切こそが、私をアメリカに駆り立てる最大の理由といっていい。 次回は恩人であり歳は親子ほど離れているが大切な友人である、リサの「ステージコーチ66モーテル」を詳しく紹介しよう。この出会いがなかったとしても名宿であることは確かであり、私にとっては紛れもなく「アリゾナのわが家」なのだ。
佐藤 圭
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