劣等感だらけの「不幸な人生」を変える1つのシンプルな考え方
人生が苦しく、自分は不幸だと感じている人がいます。どうせ幸せになれないと、人生を諦めてしまっている人もいるかもしれません。しかし加藤諦三さんは「不幸を受け入れる」ことこそ、人生を変える鍵になると語ります。「不幸」の本質に迫り、自分自身を見つめ直す重要性について紹介します。 【脳タイプ診断】人間関係のトラブルの原因がわかる ※本稿は加藤諦三著『無理をして生きてきた人』(PHP新書)より一部抜粋・編集したものです。
失敗は、単なる経験に過ぎない
「失敗は単なる経験」である。決して不幸の原因ではない。みんな、子供の心に焼き付いている。「起きてしまった」ということは受け入れる、つまり不幸を受け入れることである。不幸を受け入れれば過去から解放される。 「不幸を受け入れる」とはシーベリーの言葉である。本稿ではこの言葉の素晴らしさを考えたかった。不幸を受け入れるというと誇張された言葉のようであるが、人類の知恵が詰まったような言葉である。 病気で幸せな人もいるし、健康で不幸な人もいる。貧しくて幸せな人もいるし、お金持ちで不幸な人もいる。離婚して幸せな人もいるし、結婚していて不幸な人もいる。 離婚して不幸な人はつい「私は離婚したから不幸」と思いがちである。しかし離婚して不幸な人は、結婚していても不幸な人である。ことは単純で、不幸な人が離婚をしただけである。離婚して不幸な人は、視野が狭いから不幸なだけで、離婚と不幸は関係ない。失恋して不幸な人も同じことである。失恋と不幸は関係ない。不幸な人が失恋しただけである。 嫌な仕事で不幸だという人は、不幸な人が嫌な仕事をしているだけである。不幸の原因は嫌な仕事ではなく、自分が自分を見つけられていないからである。不幸の原因は自己不在に過ぎない。仕事が忙しいから幸せではないという人は、定年になっても不幸。不幸な人が忙しくしているだけである。 幸せでないのは、自分の意志で人生を選び取っていないからである。忙しい人は暇になっても忙しい。適正な目的を見つけられていないからである。 自分の人生は失敗の連続であったと劣等感を持ち、不幸な人がいる。しかし違う。不幸な人が失敗しただけである。失敗の連続によって不幸なのではない。人からよく思われたい、人によい印象を与えたいという依存欲求で不幸なのである。さらにものを見る視点の数が少ないから不幸なだけである。