ジョシュ・バーネットが語るUFC以前のアメリカ格闘技界。「フェイクの武道やカンフーが横行していた」
「そういうフェイク系の武道と、柔道やレスリングなどの真っ当な組み技格闘技を結びつけることはできなかった」 マーシャルアーツという言葉は誰もが一度は耳にしたことがあるだろう。マーシャルは「格闘」、アーツは「芸術」を指す。この言葉は、西洋文化にルーツを持つレスリングやボクシング以外の格闘技、つまり東洋の武術全般を指す言葉として用いられることが多い。 しかしここが曲者で、誰もがブルース・リーの映画などでマーシャルアーツに接したことはあるが、実際のところどんな稽古をしているのかまではわからない。マーシャルアーツは映画や漫画の中での〝東洋の神秘〟だった。神秘性があるがゆえに人々は惹かれる。そしてその神秘性を逆手にとるかのように、アメリカでは自ら名人や宗家を名乗るフェイク流派や道場がはびこっていた。 格闘技のバックボーンをほとんど何も持たぬ者が、知ったかぶりをして先生となる。これでは伝承もへったくれもない。武道の追求に熱心な生徒ならば、早かれ遅かれ師の「嘘」に気づくだろう。 ジョシュは「少なくともアメリカではフェイク・マーシャルアーツがホンモノの格闘技を熟成させるための妨げになってきた」と語る。しかし、ニセモノの時代はいきなり淘汰されてしまう。いったい何が原因かといえば、UFCの出現だった。 「UFCが出始めてから、ホンモノの格闘技だけが発展してきたと思います」 それはそうだろう。何でもありの闘いになったら、まがいもののスキルなど一切通用しないのだから。少なくとも格闘技に護身を求める国において、実戦で役立たない武術の存在など見向きもされない。 ■ホイス・グレイシーはなぜUFCで無双だったのか? では、UFCの登場以降、アメリカのマーシャルアーツ系の道場やジムには具体的にどんな変化が起こったのだろうか。 ジョシュは「巷にあるどんな道場でもグラップリング(柔術も含む)を取り入れなければならなくなった」と言う。 「MMAの発展とともに、我々の道場が教えるスキルはMMAでも通用するということを証明していかなければならなくなった」 ジョシュは現実主義者だ。マーシャルアーツについても「美の部分、つまりアートの部分だけをやっても意味はない」と考えている。 「もともと武道が始まったときには、他のコンバットスポーツと相対したときにどう闘うのかという捉え方があったと思うし、そういうことを追求していたと思う」 そんな武道の歴史について、ジョシュはこんな仮説を立てる。