今年もまた熱戦が…夏の甲子園「伝説の決勝戦」 80年代以降の“ベストゲーム3選”
第2位 「松山商」対「熊本工」(1996年)
第2位は、“2つの奇跡”が生まれた1996年の松山商対熊本工である。 古豪同士の対決は、初回に松山商が3長短打と2つの押し出し四球で3点を先制。熊本工も2回に境秀之のタイムリー、8回に犠飛で1点ずつを返し、1点差に詰め寄った。 だが、9回裏の攻撃も4、5番が連続三振で2死。三塁側松山商スタンドから“あと1人コール”が起きるなか、最初の奇跡が起きる。1年生・沢村幸明が積極果敢に初球の内角直球をフルスイングすると、ライナーで左翼ポール際に飛び込む同点ソロになった。 土壇場で息を吹き返した熊本工は、延長10回にも星子崇の二塁打と犠打で1死三塁とサヨナラのチャンス。この場面で、松山商・沢田勝彦監督は2者を敬遠して満塁策で対抗し、ライトの守備固めに矢野勝嗣を送った。 直後、そのライトに、3番・本多大介が「最低でも犠牲フライにならないはずがない」と勝利を確信する大飛球を放つ。 懸命にバックした矢野は一瞬行方を見失ったが、浜風に打球が押し戻されているのに気づくと、慌てて前進してキャッチ。無我夢中でバックホームした。ボールは矢野の執念が乗り移ったように、捕手・石丸裕次郎が構えるミットにストライクで収まり、タッチアップして本塁をついた星子は間一髪アウト。今も語り継がれる“奇跡のバックホーム”である。 絶体絶命の窮地を逃れた松山商は11回、“ラッキーボーイ”矢野の左翼線二塁打を足場に3点を勝ち越し、27年ぶり5度目の優勝を実現した。 故郷に凱旋後、地元テレビ局が甲子園でのスーパープレーを再現させようと、矢野をライトの守備位置に立たせ、20球投げさせたが、すべて外れたという。本人は真夏の奇跡を「3年間厳しい練習に耐えてきた自分に対し、最後に神様が与えてくれたご褒美ですね」と回想している。
第1位 「早稲田実」対「駒大苫小牧」(2006年)
第1位は、やはり2日間にわたって互角の熱戦が繰り広げられた2006年の早稲田実対駒大苫小牧で決まりだろう。 かたや夏の甲子園で悲願の初Vを目指す早実、こなた73年ぶり史上2校目の夏3連覇まであと1勝の駒苫。どちらも負けられない一戦は、早実の“ハンカチ王子”斎藤佑樹、3回途中からリリーフした駒苫・田中将大の投手戦になり、7回まで14個のゼロが並ぶ。 8回に駒苫が三木悠也の中越えソロで均衡を破ると、早実もその裏、桧垣晧次朗の二塁打に敵失を絡め、4番・後藤貴司の中犠飛で追いついた。 1対1のまま延長戦に突入した試合は、斎藤、田中の両エースが15回まで譲らず、決勝戦では1969年の松山商対三沢以来、37年ぶりの引き分け再試合となった。 そして、翌日の再戦は、4連投の斎藤が13奪三振の力投を見せ、打線も6安打で4点と効率良く援護。甲子園入り後、体調を崩し、本調子ではなかった田中も0対1の1回2死からリリーフし、気迫の投球を見せたが、2、6、7回といずれも2死から失点し、流れを引き寄せられない。 一方、斎藤は4対1とリードの最終回に中沢竜也の2ランで1点差に迫られたものの、2死後、最後の打者・田中への4球目が147キロをマークするなど、驚異的なスタミナで空振り三振に打ち取り、ゲームセット。第1回大会出場から「88回待って、その歴史の中で勝てました」(和泉実監督)という同校の長年の悲願を実現した。 だが、もしこの試合がタイブレークで行われていれば、引き分け再試合はなかった可能性が強く、前出の松山商・矢野のバックホームも見られなかったかもしれない。 時代やルールは変わったが、今年の決勝戦もどんなドラマが生まれるか注目したい。 久保田龍雄(くぼた・たつお) 1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。 デイリー新潮編集部
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