ジョウンドが定義した、ネット時代の“センスのいいもの”
2006年、20代前半のジャスティン・R・サンダースは目的なく生きていた。パートタイムの守衛や美術教師として働きながら、休みの日はスケートボードをしたりグラフィティを描く日々。そのうち趣味で、ネット上で見つけた画像を集めるようになった。いいと思ったもの、興味をそそられたもの、クラシックカーやレアスニーカーのように手の届かない憧れのもの、『カルビンとホッブス』のコミック、ブルータリズム建築などだ。 【写真つきの記事を読む】ジョウンドが創り出した、“21世紀のファッションブランド”のあり方とは サンダースは、当時のファッションやストリートウェアを受け入れつつ、60年代や70年代のスタイルにも興味を持っていた。大人になりかけてはいたが、自分の青春を象徴するものをまだ手放してはいなかった彼にとって、この趣味は自分の感情を視覚的にとりまとめる手段となった。それはデザイナーが新しいコレクションのイメージをまとめるために作るムードボードのようだったが、当時のサンダースはまだ、今のような影響力のあるデザイナーではなかった。ただ自分が望むライフスタイルを表現するため、ムードボードを作っていたのだ。 サンダースの美的感覚は、世界各地を巡った子ども時代に築かれた。生まれはカナダのモントリオールだが、小学校教員の母がフランス語教師の職を得たため、幼少期のほとんどをドイツで過ごし、夏は家族でミニバンに泊まりながらヨーロッパ中をドライブした。美術館や田園など、ヨーロッパ大陸全体を見た貴重な体験が彼の目を肥やしていったのだろう。同時に10代になると、バート・シンプソンやマイケル・ジョーダン、Foot Lockerに夢中になった。高尚なヨーロッパと大衆的なアメリカという2つの世界が彼の中で壮大にぶつかり合った。高校入学前、内向的な息子のためにカナダに帰国した方がいいだろうと母親が判断し、一家はモントリオールに戻ることに。そしてサンダースはスケートボードとグラフィティにハマり、Tシャツにシルクスクリーンプリントをするようになる。大学に進学はしたが、自分には向いていないと2年後に中退。ウェブサイトを作り、初めて、彼は自分の目的を見つけたのだ。 ■ジャスティンが見つけた画像 ブログ名は当初「found」だった。ネット上で“見つけた”画像を載せていたからだ。それからFを自分のイニシャルに置き換え、なんとなく4回繰り返し「JJJJound(ジョウンド)」、つまり「ジャスティンがFFFFoundした画像」とした。JPEGの画像は文字を添えることなく、色別にアレンジして1つの縦型スクロールにまとめた。これはインスタグラムやピンタレストが登場する遥か前、インターネットがテキストだらけだった当時としてはなかなか画期的だった。瞬く間にサンダースのデスクトップフォルダは画像でいっぱいになった。ピクセルに埋もれるなか、サンダースの美的感覚が生まれた。そして、彼独自のセンスが次第に形成されていく。 不定期ながら頻繁に更新される彼のブログに画像が投稿されるのを心待ちにするファンやフォロワー数は次第に増加していった。新しい投稿が突然まとめて現れると、限定販売のスニーカーのローンチにも似た熱狂が生まれた。フォロワーはブログを常にチェックし、カニエ・ウェスト改めイェが少し後に言った言葉を借りれば「ジョウンドお墨付き」の最新画像を求めたのだ。 ジョウンドは、ル・コルビュジエの寝椅子の歴史やロレックス「サブマリーナー」のムーブメントについて学ぶ場ではなく、その寝椅子やサブマリーナーは“手に入れたいもの”なのだと知るための場だ。何か専門知識を提供する場ではない。単に、一人の人間が普遍的にセンスがいいと思うものを定義しようとする試みにすぎず、それは終わりのない宣言のようなものだ。サイトのAboutページにはジョウンドについて、「タイムレスなデザインに繰り返し現れるパターンを検証しようとするデジタルムードボード」だと簡潔に説明されている。 2010年頃、似たようなサイトはいくつも存在していた。そんなスタイリッシュなクリエイターのオンラインコミュニティで、ジョウンドはひと際目立つ存在だった。クリエイターの多くはキャリアの足掛かりとなる人脈を築き始めたデザイナーの卵だった。 モントリオールを拠点とするスケーターブランドDimeの共同創設者であるヴィンセント・ツァンは、当時「On and Beyond」という写真ブログを持っていて、その写真が時折ジョウンドに取り上げられたと振り返る。「インターネットはコミュニティのようでした。みんながお互いを知っていて、公開されたものをじっくり見て吸収していた。ジョウンドは画像のキュレーションが素晴らしかったです。二番煎じのサイトとはまったく違う目でやっていることが、はっきりわかりました。彼はずっと優れた、貴重な画像を巧みに厳選し、うまくキュレーションしていたのです」 ■ヴァージル・アブローらと交流 ジョウンドが評価され、サンダースは『T:The New York Times Style Magazine』でシーズン毎のスタイルをまとめた記事を担当し、ヴァージル・アブローなど、ファッションとデザインの世界で影響力を拡大していた人物たちとメールでやりとりするようになった。また、カナダのスニーカー&ストリートウェア店舗グループの経営者で、現在はStÜssyのカナダ・チャプターのパートナーであるマット・ジョージと友達にもなった。2000年代半ば、ジョージはイェと仕事をするようになり、PastelleからDonda、Yeezyまで、イェがローンチしたさまざまなブランドやクリエイティブユニットの開発をディレクションしていた。サンダースもそこに参加するようになり、『Yeezus』や『The Life of Pablo』のツアーでグッズのデザインを担当し、2011年にはクリエイティブチームの主要なメンバーとなっていた。その頃のサンダースの作品はほとんど明かされていないが、Dondaの同僚であるアブロー、デザイナーのマシュー・M・ウィリアムズ、ヘロン・プレストンとともにDJグループ兼ストリートウェアブランドBeen Trillをローンチした際、彼は初めて大舞台に立つことになる。 サンダースの仲間たちはその後、ファッション界に華々しく羽ばたいていった。がんのため2021年に亡くなったアブローは、ルイ・ヴィトンのメンズ アーティスティック・ディレクターに、ウィリアムズはジバンシィのクリエイティブ・ディレクターになった。だがサンダースは、センスの観点からも目標の観点からも、常に独自の道を歩み続けた。完全に隠遁しているわけではないが、この世代のデザイナーには珍しく、匿名性を保つことにある程度成功している。そしてジョウンドは今も謎めいた存在だ。コンテクストから切り離されたJPEGの世界を築いてきた彼は、自分の行動を言葉で説明することは避け、自由な解釈に任せる。だがここ数年の彼は、最高にジョウンドらしいことを成し遂げてきたと言えるだろう。 2018年、イェとの仕事を終えたサンダースは、モントリオールでジョウンドをブランドにする緻密な作業をゆっくりと進めていた。Tシャツ、スウェットシャツ、オックスフォードシャツ、チノパン、トラックスーツ、レインコート、ベースボールキャップ、ウォーターボトル、コーヒーマグ、キャンドル、ノート、掛け布団カバー、折りたたみチェアなど、洗練されたベーシックラインを作り上げていたのだ。彼は、自身のブログの根底に流れる、タイムレスで洗練されたテイストをとらえ、それにすべてのフォロワーがアクセスできる形にすることを目指しているようだ。つまり“センスの良さの民主化”だ。他の大勢のデザイナーがより脚光を浴びる道を選ぶなか、彼はヨーロッパに移住してランウェイコレクションを築く代わりに、モントリオールに身を潜め、190ドルの完璧なチノパンを作っている。「名門メゾンや有名ブランドからクリエイティブ・ディレクターになるよう誘われましたが、ここでの仕事と秤にかけた時、両方はやれないと思いました。できる人もいます。でも僕にはできません」とサンダースは語った。 ■“中心から5度外す”戦略 8月中旬、初めてジョウンド・スタジオを訪れた私を出迎えたサンダースは、黒のスリムジーンズ、黒のクルーネックのスウェットシャツ、ジョウンド「BAPESTA」スニーカーという2000年代半ばのストリート系アートディレクター定番のスタイルだった。41歳になった彼は、誰もが最高に「クール」だと認める装いながら、その物腰は、カナダ人らしい礼儀正しさと親しみやすさに加え、20年もの間ネット上の画像を集め続けてきた人物らしい神経質なオタク気質を感じさせた。「僕にDJネームを付けるとしたら、DJ JPEGだね」と彼は言った。 サンダースは今もそのブログとの関連で語られることが多いが、ここ3年、ファッション界での彼の知名度を新たな高みに引き上げたのは、ジョウンド・スタジオで作られているさまざまなアイテムだ。一番初めにデザインしたのは、トートバッグ。キャンバス地を1ロール買い、数十のアイデアを試し、異なるサイズでシンプルなバッグをいくつも作った。バッグはジョウンドのすべてのデザインと同じく一見普通だが、素材、形、サイズ、ハンドルの質が、それらを普遍的なキャンバスバッグの理想形にしている。「今もまったく同じものを作っています」とサンダース。テーブルの上には同じキャンバス地で作られたトートバッグのサンプルが所狭しと並べられている。ジョウンドは、ワインボトル1本だけを入れられるくらいのものを含め、40種以上をリリースしようと準備していた。 広大な赤レンガの倉庫のような空間には、無数に並んだ窓から光が降り注ぐ。合板製の家具や観葉植物がセンス良く置かれた各部屋をつなぐ廊下を歩いて、私たちはジョウンドの特別プロジェクトが作られるスタジオに入った。ここでは主にスニーカーやその他のコラボ作品が作られる。棚は開発したシューズのサンプルやプロトタイプで埋め尽くされている。決して日の目を見ることのないものがほとんどだ。スタジオにはパートナーシップ事業を担当する29歳のクリエイティブ・リード、マイルス・パーキンスがいた。彼の仕事は、サンダースの言う「感情の面で的を射た」ものを見つけるために、色のコンビネーションを注意深く変えた同じスニーカーのバリエーションを数百も作ることだ。 サンダースはパーキンスを“ジョウンドの色の化学者”と呼び、ブランドにとって欠かせないツール、「パントン ルールブック」をともに開発してきた。色はジョウンドの創業時からブランドを定義する特徴だ。サンダースに超能力があるとすれば、それは特定の色味を使い、他にはない吸引力を持つ美的体験を創る才能にある。その能力は、ブログでもスニーカーでも同様に発揮される。ジョウンドの色合いは、トープ、エクリュ、ダスティーブルーなど、落ち着いたヴィンテージ感のある色がほとんどだ。こうした色は、まずシーズンの雰囲気に合わせて単に好みで選ばれる。そこから「煮詰めて、色相、彩度、明度の指標に合成し、その3つの変数を模索しながら、色相にかかわらず、うまく調和する色のパレットを生み出します。バーガンディはネイビーと合い、ブラウンはグリーンと合う、というように」とパーキンスは説明する。 ジョウンドのデザインルールは、彼らが存在していると信じる“タイムレスでいいデザイン”を創るということ。これは、メインラインコレクションでやっていることだ。もうひとつが、スニーカーコラボのように、他のブランドによる既存のデザインを取り上げ、少しの変化を加え特別感を与えるというものだ。スニーカーのコラボへのアプローチについて、パーキンスは「私たちはいつも、“一般的なデザイン”から5度以内の範疇にとどまります」と語る。(コラボに)選ぶのは必ず、常に製造され続けているモデルです」とサンダースが言い、「代表的なモデルのことです」とパーキンスが付け足す。ニューバランス、アシックス、リーボック、ヴァンズなどとのスニーカーコラボは、間違いなくジョウンドの手掛ける仕事のなかで最もノイズを生むもので、若きサンダースを支えたストリートウェアの世界と、今の彼とそのブランドをつなぐ絆だ。だが、“5度”にこだわるデザイン戦略はまるで人を惑わすことを意図しているかのようだ。サンダースは彼らが手掛けたあるスニーカーについて、「目を細めないと、汚れているだけかと錯覚します」と説明する。 リーバイスのコラボレーション担当グローバル責任者で、かつてリーボックで同様の職務を担当していたレオ・ガンボアに言わせると、サンダースは「ディテールの匠」だ。ガンボアとジョウンドは、2019年にリーボックのアイコニックな80年代のテニスシューズ「Club C」スニーカーでコラボして以来の付き合いだ。今年リーバイスはウォッシュド501に加え、デニム製ユーティリティジャケット、シャツ、トートバッグを含むジョウンド・コレクションをローンチした。ガンボアによると、ジョウンドの“中心から5度外す”アプローチは、すでにアイコニックな製品をさらに差別化したいというブランドの要望に応えるものなのだという。「ジャスティンのシンプルで洗練されたアイコニックなデザイン手法は、史上最もアイコニックなテニスシューズのひとつであるClub Cにぴったりでした。彼はシューズの要となるデザインポイントを、アイコニックなブランディングでさりげなく洗練させました。とても簡単だけど、とにかく完璧です。すでに完璧なものを、さらに改善させたのです」とガンボアは語る。 ■インタラクティブなデザイン パーキンスの机のそばのテーブルには、切手サイズのパントンチップが6枚、碁盤目に置かれテープで固定してある。私には一見どれも同じ色に見えた。私がエレクトリックブルーと呼ぶ色だ。サンダースが、私に1枚選べと言う。たったひとつの条件は、黒いシューズを引き立てるということ。難しいクイズだ。色の違いが次第に見えてくる。1つは少しくすんでいる。1つは鮮やかで、楽しげだ。1つは青い風船のような、クラシックな印象。私は明るすぎもせず、暗すぎもしない、ど真ん中の色を選んだ。サンダースの顔が明るくなる。どうやら正解だったようだ。「OK」と彼は平淡に言う。チップをテーブルから剥がし、パーキンスに手渡す。「明日までにこれでサンプルを作って」。色はジョウンドのデザインプロセスの最も重要な要素かもしれないが、同時に最も主観的なものでもある。サンダースは独断を好まない。すべての人、私にさえ発言権を与える。「オフィスでは、全員がミューズです。若い頃は一人でデザインして自分が好きなものを選びましたが、チームが大きくなるにつれて、これがエコシステムのようなものだと気付きました。あらゆる世代のあらゆる人たちがいます」とサンダース。いいデザインが普遍的でタイムレスだとすれば、それは同時に個人的なものにはなりえない。少なくとも、そうならないケースもある。ジョウンドがインタラクティブに服をデザインすることにこだわる理由のひとつだ。 いっぽうで製品の販売方法はいたって普通でシンプルだ。毎週、自社サイトに新製品を投稿する。実店舗も、卸売アカウントもない。オンラインショップのみだ。再販もあれば新製品もあり、時折新しいコラボシューズも登場する。最近のリリースでは、ジョウンドのボタン金具を配したさまざまな白とグレーのクロックスからなる、遊び心のあるコレクションがフィーチャーされた。新製品はコレクションとしてではなく、完成した段階でリリースされるとサンダースは説明する。売り切れることも多いが、それは意図的な操作ではない。希少価値を演出することはない。その背景には、1つのアイテムを開発するのに多くの場合1年から1年半、時にはそれ以上の時間をかけるという要因がある。 ジョウンドのメインラインコレクションは、特別プロジェクト室の隣にあるスタジオでデザインされる。ここでは30歳のデザイナー、イライアス・ミハイリデスが率いるチームが、丹念に作られたベーシックなメンズウェアアイテムをいくつかデザインしている。どのアイテムにも「目的がなければいけない」とサンダース。雨の日の防水ジャケットやオフィス用のスリックなパンツなどという話ではない。彼にとって目的とは複雑な問題だ。ジョウンドは同じ色のフーディを5タイプ製作し、ほぼ同じトラックスーツを3タイプリリースする予定なのだから。トラックスーツについてサンダースは「つまり......1つは引退した選手用、1つはスタンド席のファン用、もう1つは試合に向かう、そして試合後に帰宅する選手が着るためのものです」と説明する。 最近スタッフの一人がコレクションにある厚手のフリース製フーディについて、「この服はどこに着て行くためのものなのかわかりません。狩り? 未来? スキー?」と質問した。それに対してサンダースは「それはわからない。でも20代の人が冬にバスに乗るとしたら、これは受け入れられる」と答えた。今年、ジョウンドのスタッフ数人が鮮やかな原色のフーディを提案した。これはジョウンドの色の世界ではラディカルな動きだが、サンダースは試してみることにし、鮮やかなブルー、イエロー、レッドのスウェットシャツをリリースした。青と黄色はそれぞれファンを獲得したが、赤は苦戦した。サンダース自身、赤を誰が着るのかわかっていなかった。「消防士かな、休暇中の?」 デザインプロセスで大切なのは経年変化のテストだ。ジョウンドでアイテムの開発に時間がかかる大きな理由のひとつだ。あるウールパンツは、「模索中」の山に埋もれて3年後にようやくサンプルが作られ、スタッフに試着された。あるナイロン製パンツと同スタイルのジャケットは、1年半近く経ち開発サイクルの終わりに差し掛かってもいい頃だが、作業はまだまだ残っている。「このアイテムには長いこと取り掛かっています」とミハイリデスは疲労感を漂わせる。「良くなるまで作業を続けます。でも楽しみながらやっています」とサンダースが加える。 本質的に、ジョウンドはただオシャレなナイロン製パンツを作ろうとしているのではない。これは「普通から5度だけ外れたおもしろいデザインはどう生まれるか?」という実験だ。決して妥協しない人物が指揮を執ってこそ成功する。連携的なデザインアプローチをとるジョウンドにおいて、サンダースこそその人物、つまりビジョナリーなのだ。妥協しすぎると「誰かが100%欲しいと願うものは何もできない」と彼は主張する。 その確固たるビジョンは、彼をマーガレット・ハウエルやA.P.C.のジャン・トゥイトゥといった厳格なミニマリストデザイナーと同じ系譜に位置付ける。「ジャスティンは、A.P.C.を創業した1987年当時の私の仕事を思い出させてくれます」とトゥイトゥは語る。A.P.C.とジョウンドが2019年にコラボを行った際、トゥイトゥはサンダースにジョウンドのデザインプロセスに嫉妬を覚えると語っていた。「彼のしている仕事は、かつて私がしていたことです。それはフリースやギャバジンの生地を手に取り、マッドサイエンティストのように検証するということです」 ■シンプルを極め、妥協しない ヴィンセント・ツァンは、ジョウンドの素晴らしさは「“シンプル”を創るために費やす作業量」にあると語る。「シンプルを極めるのは非常に難しいのです。ジョウンドはいつも完璧な色合い、最高の素材を見つけて製品を作ります。90%に満足せず、99.9%に限りなく近づくことで、他とは一線を画しています。一分の隙もない仕事ぶりです」 だがジョウンドの真価は、誰一人、サンダースさえ予想していなかったところにあるかもしれない。ジョウンドはインターネット上の教育の場だ。いいデザインのルールやパターンの視覚的なガイドであり、サンダースは近年それを使って製品を開発してきた。彼は服を作ろうと思うよりずっと前から、画像を通してその世界に人を引き寄せ、何年もかけて顧客ベースを築いてきた。彼は今、新たな転換を迎えている。ジョウンドの流通経路を需要の高いヨーロッパに拡大するなど、ブランドを成長させる方法はいくつかある。小売店舗も視野に入れている。「ゲームで言えば到達したことのないレベルです」とサンダース。ブログでは言葉は必要なかったが、ブランドには語るべきストーリーがある。「僕のやり方で、製品の良さをどう伝えるべきでしょう? 僕は社交的なタイプではなく、シャイで内向的な人間です。でももっと知りたいと多くの人が言ってくれています」 ジョウンドは2000年代初期のインターネットの産物にほかならないが、サンダースは2023年においてそれが何を意味するのかを考えるようになった。答えはそのうちに出るだろう。彼はブランドの財政については、ここ数年、順調に成長しているということ以外明かしていない。ブランドの分析情報を深読みすることはないが、誇りを持って公開できる指標が2つあると彼は言う。顧客のリピート率は非常に高く、返品率は非常に低い。ジョウンドを買った人は繰り返し戻ってくるし、買ったものを気に入って手元に残しているのだ。今のところ、彼はその成功に十分満足している。「よくできた、とみんなで喜ぶ瞬間もあります。家に帰ってのんびりしたり、好きなことをしたりね。でも次の日には、『あぁ、これをちゃんとやらないと。完璧な青を選ばないと』となるのです」 ■ジャスティン・R・サンダース クリエイター カナダ、モントリオール生まれ。2006年、ネット上で見つけた画像を集めてキュレーションしたブログ「ジョウンド」をスタート。次第に熱狂的なフォロワーが生まれ、ファッション・デザイン界のビッグネームとも仕事をするように。ジョウンド・ブランドのアイテムを生み出すほか、ニューバランスなどのスニーカーのコラボでも知られる。 From GQ.COM WORDS BY NOAH JOHNSON PHOTOGRAPHS BY SAMUEL FOURNIER TRANSLATION BY UMI OSAKABE